国立追悼施設建設に反対
大学生・中川雄一(大阪府堺市・22歳)
一部の国会議員が、支那や南鮮に迎合して、靖国神社に代わる無宗教の国立追悼施設の建設を目論んでいる。このことに対して、私は断固として反対する。最大の理由は、「靖国で会おう」という言葉を遺して亡くなられた方々に対しての言語道断の無礼である。
先日、初めて靖国神社を参拝して、遊就館を見学して、英霊となられた方々の遺書を読んで、心を揺さぶられ涙を流した。正直にいって、これを読んで涙を流し感謝せずに、靖国神社を否定する日本人は、決して正常な日本人ではない。日本人の仮面をかぶった似非日本人である。
また、新しい施設の建設には国民の税金が使われる。はっきりといって、税金の無駄遣いである。奴等は、どれだけ我々国民を馬鹿にしているのだろうか? もし本気でつくるつもりであれば、自腹を切ってつくってみろ。どうせ支那や南鮮に対しての点数稼ぎであるから、そこまでして貫徹する気概はないだろう。
憲法の政教分離を持ち出す輩がいるが、本来の政教分離の意味は、宗教勢力が政治に干渉するのを禁じることであるから、儀式的な意味である首相の靖国神社参拝は違憲ではない。政教分離に反しているのはむしろ公明党なのではないか? その公明の議員が政教分離をいうとは、実に馬鹿げている。今すぐに、無用な施設に関する無駄な議論をやめるべきだ。
李登輝氏訪日を歓迎する
塾経営・山田芳雄(神奈川県厚木市・54歳)
台湾の李登輝前総統が記者会見で、四月の訪日に意欲を示されたという。また、その席上、桜の季節に合わせて念願の『奥の細道』を歩きたいと、芭蕉に対する熱き想いを披瀝されたそうである。李氏は、小林よしのり氏との対談の中でも「芭蕉はほんとうは外国の人に一番知られなければいけない日本の遺産ですよ。こういうものを深く掘り下げて知ろうとすることは、日本人に非常な自信を持たせることになると思うよ」(『李登輝学校の教え』小学館)と『奥の細道』を歩く意義を語っておられる。
李氏の来日といえば、四年前に外務省が姑息な策を弄して氏の訪日を阻止しようとした悪しき前例がある。この時はさすがに李氏も「日本政府の肝っ玉はネズミより小さい」「日本は(中国に)半世紀もいじめられながら、まだ主権が持てない」と激しい言葉で政府を批判された。全くその通りで、溜飲を下げる思いをしたが、外務大臣も中国政府のイエスマンのような河野氏から麻生氏に代わり、外務省のチャイナスクールも先のような国辱行為に及べば、再び世論の強い糾弾を浴びること必定である。あとは、小泉政権が適切に「主権」を行使するだけである。
ともあれ、世界のリーダーの中でも、李氏ほど日本に対しての理解の深い人はない。現在の日本に対する厳しい目と、古き良き日本への優しいまなざしを併せ持つ氏は、わが国にとってもかけがえのない人である。どうか李登輝さん、ご夫妻で万朶の桜の花の下、芭蕉の「わび」「さび」の世界をゆっくりとご堪能下さい。四月の来日を心よりお待ち致します。
自殺の前にうつ病治療を
医師・山田和男(東京都練馬区・38歳)
私は、東京の大学病院で精神科医をしています。安藤一恵さんの「死んだら楽なのか?」(十二月号)に関して、専門家の立場からコメントさせてください。
日本は先進国のなかでも自殺率が高く、とうとう年間で三万五千人を超えました。近年さらに中高年男性の自殺者が増加傾向にあります。この中にはかなりの割合で、精神科医を受診していない未治療のうつ病患者さんが含まれています。
うつ病患者の15%が、実際に自殺を図ると言われています。うつ病は意外とポピュラーな病気で、生涯有病率は約12%強というのが最近の通説。八〜九人に一人は、一生のうちに一度はうつ病にかかる可能性があるということです。自殺に関連した症状は、「心の弱さ」などではなく、うつ病という病気の一症状として現れるのです。
具体的な数字を挙げますと、自殺既遂者の80〜90%は精神障害に罹患していたとされ、そのうちの大半が「うつ病」です。自殺既遂者の40〜60%は、実は自殺の1カ月以内に医師を訪ねていますが、その半数以上は、精神科ではなく内科などの開業医を訪れているために、うつ病と診断されず、結果的には自殺してしまっているのです。私の経験を総合しますと、精神科を専門としていない医師がうつ病をきちんと診断することは、不可能に近いと言っていいでしょう。
残念なことに、うつ病患者の約半分しか医療機関を受診しておらず、受診しても精神科医によって治療を受けているのは二割程度、すなわち実際にうつ病にかかっている患者のうち、わずか約一割しかきちんとした治療を受けていないという報告もあります。
すべてのうつ病の患者さんが、自殺をする前に、精神科医によるきちんとした治療を受けることを願ってやみません。
「長門」の軍艦旗「何でも鑑定団」に現る
大学教授・山本 節(東京都杉並区・66歳)
去る九月二十七日、東京12チャンネルの人気番組「開運 何でも鑑定団」に、鑑定を依頼する一人の米国人が現れた。彼が携えてきたのは、旧日本海軍の戦艦「長門」の軍艦旗・少将旗など三流の旗であった。−これらの旗は日本の敗戦処理にともなう「長門」接収の時、米軍の指揮官が持ち帰ったものだ。戦後帰還将兵の間で戦利品を見せ合う会があったが、席上その指揮官と親密になった当の米国人の父親が貰い受けた。三百万円なら売ってもいい−というのが彼の話である。テレビでは、米軍がこの軍艦旗を降ろして星条旗を掲げる当時の記録フィルムも放映された。鑑定の結果、旗には一千万円の値がつけられた。
ちなみに「長門」はその後ビキニ環礁に曳航され、原爆の実験材料として南海に沈められたが、その引き渡しにあたっての日本海軍将官の心情を阿川弘之『軍艦長門の生涯』は次のように描いている。
長門の記念物が米軍に持ち去られ、アナポリスの兵学校あたりで永く辱めをうけるのは耐えがたい気がした。かつて江田島に飾ってあった露國戦艦「アリヨール」の艦載艇の姿が、権平中佐(注 副長権平正男中佐)の頭にしみついていた。せめて艦首の御紋章だけでもというので、艦長(注 杉野修一大佐)副長相談の上、これをとりはずして燃してしまうことになった。
阿川によれば軍艦旗は、艦長の「引き渡すまではこっちのフネだ。堂々と軍艦旗を上げておけ」との一言により掲げられていたが、乗艦してきた米兵によって手早く下ろされ、「引き下ろした軍艦旗をひろげて、その前で記念写真の撮影をしている者もあった」という。
海軍においては軍艦旗は消耗品とされ、陸軍の聯隊旗の如き象徴性はなかったという。さは言え、かつて「長門」の檣頭に翻った旗が、異国で珍奇な骨董品として扱われているのはまさに痛恨の極みである。国家の誇りに関わることではないか。金銭に頼らぬ返還の方途は見出せぬものなのか。
見覚えのある風景
フリーライター・角田保弘(福島市・43歳)
先日、都内某所に用事があった。JRのターミナル駅で私鉄に乗り換え、電車に揺られて約二十分。目的の駅で電車を降り、駅舎を出た瞬間、アッと思った。どこかで見覚えのある風景が広がっていたからだ。印象的だったのはアーケード街だ。さまざまな商店が軒を連ねており、山積みになった商品が道路にはみ出していた。日曜の午後という時間帯もあり、人通りは多かった。東京に足を運ぶ機会は多いが、これまではターミナル駅の周辺をウロウロするだけだった。同じ東京でも、小さな駅の周辺は牧歌的で、親しみやすい。初対面の人たちが、すぐに仲良くなれそうな雰囲気がある。
それにしても、初めて目にした風景をなぜ、見覚えがあると感じたのか。おそらく、昔の地方都市の駅前に似ていたからだろう。
現在の地方都市は、駅周辺の地盤沈下が進んでいる。人通りは減少し、商店街はシャッター通りと化している。クルマ社会の進展と、それに伴う郊外型店舗の増加が、駐車場の少ない駅周辺から人を遠ざけたのだ。
一方、東京は鉄道を日常の足にしている人が多い。車がなくても普通に生活できる。だから、今でも駅周辺の人通りが多いし、昔ながらの商店街が維持されているのだ。
「地方都市で絶滅したものが、東京で生き残っていたとは…」
そんな感慨を抱きながら、生活感が漂うアーケード街をブラブラと歩いた。
| 「正論」平成18年1月号 |
論文
|