トップ
ブログ
今月の記事
読者の広場
過去の記事

購読
問い合わせ



モバイルサイトご案内
QRコード 随時モバイル
メンバー登録
受付中!
>URLを
携帯に転送

.



平成21(2009)年2月5日[金]

【正論】露の倒錯した共同開発への誘い 北大名誉教授・木村汎




 北方領土の国後島沖で日本漁船がロシア国境警備隊の銃撃を受けた。1月29日、ちょうど、鳩山首相が施政方針演説を行った日だった。銃撃事件の全容はまだ詳(つまび)らかになっていない。だが一歩間違えば、2006年夏、乗組員が死亡した「第31吉進丸」事件の二の舞いとなった可能性すら否めない。

 今回の事件が、出先機関であるロシア国境警備隊の勇み足だけで起こったとは思いがたい。背後には、メドベージェフ・プーチン双頭政権による鳩山民主党にたいする失望、苛立(いらだ)ち、そして牽制(けんせい)の姿勢がひそんでいるのではないか。

 ≪具体的手だてない鳩山首相≫

 鳩山氏は首相就任直後、早急に日露間の領土問題を解決し平和条約を締結したいとの意欲を表明した。祖父の一郎氏が果たせなかった悲願達成にかける熱意は壮とする。が、この難問を解決するために同首相が格別の妙案ないし具体的手だてをもたないことは明らかである。シロビキ(KGB、軍部関係者)派のプーチン首相がロシア外交の主導権を握っている以上、北方領土問題解決に資する「機会の窓」も開いていない。

 普天間問題で対米関係につまずいた後はじめて、鳩山首相は対露関係を真剣に学習しはじめた。北方領土問題解決に関しては、同問題解決を日露関係の最大優先課題とみなし、政経不可分の方法で臨む正攻法以外に妙案などあろう筈(はず)がない。鳩山首相は漸(ようや)くこのことを理解しはじめたもようである。

 同首相が就任以来行った二つの重要演説はこのような変化を示唆しているように思える。昨年10月の所信表明演説では日露関係に114字を用いていたが、先の施政方針演説では半分以下の53字。「乃公(だいこう)出でずんば」の気負いが減少している。内容の点からいうと、所信表明での「政治と経済を車の両輪として進める」というくだりを、施政方針では削除した。これまで経済分野ばかりが拡大発展する一方、政治(領土)問題の交渉が置き去りにされた点を考慮したからだろう。逆に施政方針では、北方領土問題の前に「最大の懸案である」、「取り組む」の前に「精力的に」という修飾語を加えた。

 ≪強硬姿勢を崩さぬ露政権≫

 鳩山首相の変容をみて、ロシアは失望したに違いない。半世紀ぶりに誕生した非自民党政権にたいするモスクワの期待は大きかったからである。しかし私見によれば、ロシアはまず自らを責めるべきだろう。双頭政権は、自民党政権にたいしては示さなかったような宥和戦術を、鳩山新政権にたいして採るべきだったからである。そうすればひょっとすると、鳩山首相の領土問題解決意欲を巧みに利用しえていたかもしれない。ところがモスクワは、新交渉相手にたいしまず高飛車に出るべしとの“バザール戦法”に訴えた。

 たとえば、前原誠司北方担当相らのロシアによる北方領土「不法占拠」発言に、双頭政権は必要以上に激しく反発した。またメドベージェフ大統領は、シンガポールでの鳩山首相との会談の翌日、わざわざ日本名を挙げ「第二次大戦の結果の見直しには応じられない」と、ブレジネフ政権時代の「戦争結果不動論」を繰り返した。このようなロシア側の強硬姿勢は、間違いなく鳩山新政権の出はなをくじいた。

 ≪様々な嫌がらせで揺さぶり≫

 日本の政権政党が自民党から民主党に代わろうと、ロシアにとっては大差なし。これがロシアの双頭政権の対日基本認識−。こう理解すれば、合点がゆく。そのことを裏付けるのは、麻生前政権時代以来増々活発化してきている、北方領土での日露共同経済開発への勧誘キャンペーンである。

 共同開発は、ロシアにとり一石二鳥以上の役割をはたす。2008年秋以降のロシア経済危機の影響をもろに受けて、「千島列島社会経済開発計画」の継続的執行は、風前の灯と化している。そのような折に日本企業が北方領土へ進出してくれれば、モスクワの経済負担は軽減され、まさに願ったり叶(かな)ったり。加えて、日本企業は現地ロシア人に経営のノウハウを教え、ロシア政府に税金を払い、トラブル発生時にはロシアの法律や裁判権に従う。結果として、日本人は経済的利益の追求に目がくらんで領土返還要求を断念したとのイメージが全世界に広がる。このようにして、日本の領土返還運動に事実上の終止符が打たれる。

 ロシアは、このような狙いを秘めた共同開発案を日本に呑(の)ませようと様々な嫌がらせを行っている。例えば、北方四島にたいする人道支援物資の受け取り拒否、ビザなし交流見直しの示唆…等々。

 北方四島周辺海域での漁業の安全操業は、日本側が例外的に参加している日露共同事業の一形態である。ところが今回の銃撃事件は、そのような安全操業をロシアが保障しないことを証明した。にもかかわらずロシアや一部の日本漁民は、まさにそれだからこそロシアによる共同事業提案を日本側がより真剣に検討すべき時期到来と主張し始めるかもしれない。そのように倒錯した論理に同調するならば、それこそロシアの思う壼だろう。(きむら ひろし)