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ハイ 正論調査室です

 

お答えします

 ▼質問=埼玉県所沢市の元地方公務員、横尾成彦さん(63歳)から。

 十一月七日にTBSラジオを聴いていたら、アナウンサーの久米宏氏が「戦前は軍隊がヒロポンを使用していた。特攻隊は皆ヒロポンを打って出撃した」とコメントしていました。私は「そんなバカな」と耳を疑いましたが、真偽の程はどのようなのですか。デマ宣伝ならば最初に言った人物はいつごろ、誰なのか教えて下さい。(一月号)

 ▽回答=大阪府豊中市の無職、増田達郎さん(87歳)から。

 横尾さんが聞かれたTBS放送の久米宏氏のコメントは小生聞いていませんので、どのような文脈の中でどのような意味合いを含めて久米氏が言ったかは承知いたしませんが、敗戦時内地の留守部隊にいた私達に某日、棒状のチョコレートが配給になり、これを食した夜、眠れない連中が一晩中廊下をゾロゾロ歩いて騒がしかったことが思い出されます。その時聞いたところでは、そのチョコレートは航空隊用のもので、夜間出動の時など睡気を払うためのものだとのことでした。

 何分半世紀以上も前のことであり、小生の記憶も正確さを欠くかもしれませんが、当時は職務のため眠りをこらえ出動する飛行士の立場を誠にご苦労だなと感じたように思います。これがヒロポンを知った初めでしたが、その後戦後の世情混乱の時期に非行少年の間にヒロポンがはやり、社会問題になったわけです。

 しかし夜間運転の貨物自動車の運転手や、夜間営業の者等の間では多分用いられていた筈で、当時としては極めて合理的な使用の範疇に属することであり、その後の社会状勢の中で喧伝されたような麻薬まがいのオドロオドロしい話と受け取るのは話が違うと思います。現在の基準から過去の事例を倫理道徳的に論(あげつら)うのは正しくないという話の部類ではないでしょうか。

 余談ですが、当時は甘味料の代用品としてサッカリンとかズルチン等が大いに用いられていたことなども思い出します。

 ▽回答=山口県周南市の西巻正日児さん(82歳)から。

「戦前は軍隊がヒロポンを使用していた。特攻隊は皆ヒロポンを打って出撃した」との事、甚々しい「デマ」です。これと同じような質問に対して、正論、平成十七年(〇五)八月号三五九頁に私が答えています。

 久米宏さん、テレビを去ってやれやれと思っていたら、またラジオでこのようなデマを言っているのですか。日本軍隊は数百万人居たのです、「デマ」の出どころを教えて下さい。

■補足します

 △補足=秋田市の無職、鎌田雄吾さん(74歳)から。

 秋田県仙北市の樋口清作さんの質問に対し、一月号で千葉市の畠田清三さんから回答がありましたが若干補足いたします。

 検察官には階級がありません。検察庁法第三条に明記してあるとおり、検事総長・次長検事・検事長・検事・副検事は検察官の種類であって階級ではありません。混同しないで下さい。

 そして階級制度をもうけている職種は、いざと言う時生命を捨てて職責を遂行しなければならない危険業務従事者で、命令一下、上司の職務上の正当な命令には絶対服従しなければならない義務を負っております。かつて大日本帝国軍人は天皇陛下の命令一下、生命を捨てて死地に赴きました。その思想から発出されたのが危険業務に従事するための階級制度です。職務遂行の為の規律です。検察官はそこまで要求されておりません。危険業務従事者ではありません。

■質問があります

 ▼質問=福岡市の無職、高森雅彦さん(89歳)から。

 数年前、私の住居の学校区で新年会が催され、当時町内会長をしていた関係で出席、祝賀会では小学校長と隣り合わせの席となりました。この時先程合唱した「君が代」の歌詞について、学校ではどんな教育をしているかお尋ねしたが、何も特別なことはしていない、今まで何十年も教員をしていたが、こんな話が出たのは初めてだといわれました。これが日教組の方針かなとさえ思った次第です。

 さて十一月二十三日、福岡市筥崎八幡宮参集殿では三島由紀夫・森田必勝両烈士の慰霊祭が行われ私も参加しました。終了後、同じ筥崎宮の境内で写真(上)のように「さざれ石」をみつけたのでお尋ねします。現在文部科学省では「君が代」についてどのような教育、カリキュラムがなされているのか、また国内いずこかにもこのような「さざれ石」が展示されていないか、おたずねした次第です。

 ▼質問=愛知県長久手町の自営業、鈴木英也さん(69歳)から。

 戦国武将、明智光秀の重臣と聞き及ぶ、京都・亀岡を拠点としていた並河掃部守(ナミカワカモンノカミ)および一族の丹波家について、詳しい事をご存じの方、資料・書物等をご教示下さい。山崎の合戦で陣を張っていたとか、豊臣方に負けたとか、断片的な事は史書にありますが、より詳しい事が分かりません。どなたかお教え下さい。

 ▼質問=千葉県成田市の元会社員、上田真弓さん(50歳)から。

 本誌十二月号の「折節の記」に、京都産業大学名誉教授ロマーノ・ヴルピッタ氏が、中秋の名月について、「窓の外を見たら、雲間から月が現れて、虫がしきりに鳴き、中秋の名月のしんとした景色だった」と書いている。

 イタリア人のヴルピッタ氏は、長年日本に住む日本通ではあるが、私たちと同じように秋の虫の声に風情を感じているようである。虫の音色を美しいと感じるのは日本人の感性で、外国人にはそんな感性はなく、騒音・雑音としか聞こえないと言う人が結構いるが、本当であろうか。私は常々疑問に思っていたので、このエッセイを読んで、やはりそんなことはないだろうと思った。外国人も、同じ状況で同じ虫の声を聴けば、きっと日本人と同じように感じるのではないだろうか。あるいは、日本で聴くような声の虫は、外国にはいないのであろうか。

 このことについて、ヴルピッタ氏ご本人の意見もお聞きしたいし、ぜひ外国人の意見を聞いてみたい。また読者の方からも、思い込みではなく、外国人から聞いた話などをお聞かせ願いたい。

 ▼質問=滋賀県野洲市の無職、澤田秀男さん(84歳)から。

 満州事変から支那事変そして大東亜戦争にかけて、大陸ものの流行歌が多く歌われました。例えば、支那の夜・満州娘・上海だより・チンライぶし・土と兵隊・麦と兵隊・花の広東航路・上海、南京の花売り娘・蘇州の夜・蘇州夜曲等々、数をあげればきりがないのですが。「三日月娘」という歌があるようですが、どうしてもわかりません。当時に私と同じ年配か、それ以上の方ならご存知の方がいると思いますが、どうぞお教え下されば幸いです。