東京都 主婦 69
11月29日付の読者投稿「特養ホーム出た夫に変化」の18年間の日々を拝読し、私もまだまだこれからだと元気をいただきました。
それもつかの間、今日また生きる気力が半減しました。11歳年下の妹が、30年以上暮らした病院を出なければいけなくなったのです。
妹は3歳ごろ脳性まひであることが分かりました。こちらの話すことは理解できますが、難しいことは分かりません。私は結婚以来、40年以上、別に生活しているので、妹の話すことは、何度も聞き返さなければ理解できません。歩くのも不自由です。昭和48年に母ががんで倒れる少し前、他県の病院に入院しました。そのままお願いしてきました。
父母が亡くなった後、妹は私の主人の扶養家族となり、今日に至っています。家に引き取ることはできませんが、身体障害者のための手当や医療費が高額な場合の還付金などをいただき、入院費などに充てています。10年ほど前に事故のため歩けなくなって以来、外泊させていません。病院はとても親切にしてくださるので、感謝していました。
私は要介護4の主人と2人で生活しています。主人は脳梗塞(こうそく)の後遺症で、車いすの生活です。最初は週2回の入浴のほかは私が介護をしていましたが、腰痛が出てしまい、夕方ヘルパーさんに入っていただいています。最初はいろいろな方が出入りすることに疲れ、涙が出ました。でもわが家にくるヘルパーさんは良い方たちで感謝しています。
何とかやっていけると思うようになった今、妹の病院からの電話は「これといって治療をしていないので、施設に移してほしい」。わが家の事情はご存じで、妹が入れる施設を当たってくださるとのことでした。
不自由な体で、人生の半分以上を病院で過ごし、世間を知らない妹を、知る人の1人もいない施設に移らせなければならないことに、涙が流れました。でも、長年お世話になった病院の事情も受け入れなくてはいけません。
私自身も主人の介護で身動きできず、ふらふらになっている毎日。まだまだ、これからと気合を入れても、すぐに「父さん、母さん、早く迎えに来てください」とお線香を上げてしまいます。でも、また明日から頑張ります。
(2006/12/15)