得ダネ情報 住まい 転職 為替
powered by goo

文字の大きさ:

 
 
 

 

icon

得ダネ情報

 
 
ゆうゆうLife
 

がんの父をみとって

 大阪府堺市 東麻由美 45

 がんの父を在宅でみとりました。父は4年前、胃がんの告知を受けました。手術はできず、抗がん剤も効果がなく、中止。昨年夏には在宅診療の先生に全面的に委ねました。大病院へ行けば、CT、血液検査、胃カメラで、「どうですか?」と聞いては頂けますが、あまり意味がないように思われました。

 それよりも、最後をどのように過ごすか、私たちがどう接するかの方が大切なように思いました。

 昨年暮れ、飲み物ものどを通らなくなり、貧血もひどくなりました。少し動いただけで、次の行動ができません。ドクターと私たちでIVH(高カロリー輸液)を勧めましたが、「つながれたままやったら、死んだ方がまし」との返事。

 つながれずに過ごすにはどうすればいいのか、訪問診療のドクター、看護師さんのアドバイスで、IVHを夜つなぎ、朝外すことにしました。そうすれば、昼間は自由な時間が持てます。毎朝夕、来てくれる訪問看護師さんが必要でした。年末年始のことも心配でした。

 父の住まいの近くで、月〜土と祝日に快く対応してくれる事業所を見つけました。年末年始と日曜日は違う事業所さんがやはり、快く引き受けてくれました。なんと幸運なのでしょう。

 父はIVHで最後のクリスマス、年末年始を一緒に迎えられました。ゆっくりゆっくり歩いて、外出もしました。「IVHにしてよかった」と、父の口から聞いたときは、本当に良かった!と思いました。コーヒーが大好きで、喫茶店にも行きました。食べることも大好きで、行きつけのお店にも行きました。歩くことがままならなくなっても、車いすで出かけました。

 3月の初めごろにはベッドからほとんど起きなくなり、嘔吐(おうと)が増え、幻覚や、意味の分からないことも言うようになりました。それでも、導尿やカテーテルでなく、オムツだったのは、最期まで自分らしく生きる、父のこだわりだったと思います。

 亡くなる数日前に具合が悪くなり、病院に入れる話がありました。私たちも疲れ果てておりましたが、幻覚や嘔吐で目が離せず、個室でも付き添いがいるとのこと。24時間、誰かが付けば、家族の精神的、肉体的、金銭的な負担は今以上に大きくなります。私たちはやっぱり、在宅で最後まで父をみる選択をしました。

 最後の別れは、直ぐでした。虫の知らせか、私と母が一緒に看病をしていました。主治医もすぐに来てくれ、私が「お母さんのこと、わかる?」と言うと、父はうなずき、母が「何か言うことある?」と尋ねると「孫」と一言いってくれました。弟の子供たちは間に合いましたが、私の子供たちは間に合いませんでした。

 感染症もなく、最後まで過ごせたのは、先生、毎日来てくださった訪問看護師の皆さんの努力のおかげです。母も皆さんに支えられて生活していました。微力ながら、私たち兄弟家族も、支えてきました。最後を在宅で迎えるのは、とても大変でしたが、医療、介護、家族が連携できたと思っています。「自分らしく生きる、自分らしく最期を迎える」が、父の望みでしたから。

(2007/06/13)

 

論説

 

 
 
Copyright © 2007 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved.