産経新聞社

ゆうゆうLife

求められる終末期医療とは

 岩手県奥州市 主婦 菅原裕紀 42

 昨年4月に80歳の父を見送りました。父は胃がんの手術後、誤嚥(ごえん)性肺炎を繰り返し、入院しました。その時、食物を口から取ることはもう無理だと言われました。さらに、がんが肝臓に転移し、余命3カ月とも。そんななかで腸ろうの手術を勧められました。

 余命3カ月での腸ろうの手術に、矛盾を感じずにはいられませんでした。しかし、「これ以上、医療でできることはない。点滴とたんの吸引だけでは転院先もない。経腸栄養にすれば、元気になって、自宅で家族と最期を迎えられる」という言葉にすがるように、手術を決めました。

 しかし、経腸栄養はうまく機能しませんでした。下痢、高熱、たんの毎日。それでも、早々の退院を促されます。

 愛する人の病、別れの予感、覚悟。その悲しみだけに浸れたらどんなに楽でしょう。けれども実際は、多くの家族が終末期の患者を抱え、施設や転院先を必死に探すのです。「患者さんには、自宅が一番いいんですよ」という言葉を、医師や看護師から何度も聞きました。けれども、どうか、そのような言い方だけは、しないでほしいと思うのです。

 幸い、父は車で3時間も離れた市の緩和ケア病棟に転院でき、最期の1カ月を過ごしました。

 終末期の患者を受け入れるのは、経営的に厳しい現実もあると思います。けれども、父の最期の日々を通して、終末期医療の豊かさも知りました。患者、家族も含めて穏やかに、最期の日々を生きる手助けをする、そんな終末期医療こそが求められていますし、旅立ちは生まれることと同じくらい尊いと思います。

(2009/02/04)