産経新聞社

ゆうゆうLife

母との「自然な別れ」

 横須賀市 主婦 舘野和子 62

 2月27日付「枯れ木が倒れるような死」を読みました。私は7年前、寝たきりの母を家で看取りました。母は嚥下障害があり、刻み食はやがて流動食に、亡くなる2〜3週間前からはそれもうまく飲み込めなくなりました。

 往診医の先生が「これ以上は無理」と、入院手続きをしてくれました。しかし、病院では有効な手だてはなく、回復の見込みがないなら、家に帰りたいと、入院をお断りしました。

 せっかくの往診医の配慮を無にする形になってしまいましたが、先生は知らせを聞き、わが家に点滴や酸素を用意してくれました。ですが、装着すると、息苦しそうな様子。ためらいましたが、外して頂くように頼みました。さしたる根拠もありませんでしたが、その方がよいように思ったのです。先生は迷っておいででしたが、点滴の針を抜き、酸素マスクを外しました。心なしか、息が楽になったのでは、と思いました。

 翌朝、母の呼吸が静かになったと、姉が仮眠していた私を起こしに来ました。母の髪をなでていると、数分後、まぶたが緞帳が降りるように、ゆっくり静かに閉じていきました。おだやかで美しい最期でした。

 それでも、母に医療的な措置を十分に受けさせなかったことが本当に良かったのか、気になっていました。が、ある日、お世話になった訪問看護師さんが、おっしゃったのです。「人間は高齢になれば、病気や老衰ですべての機能が低下します。自力で飲み込みができなくなったら、無理に水分などは取らない方がいいのです。生きるのに必要な水分が体から抜けきって、始めて自然に死ねるのです。死ぬためには、乾ききることが必要で、この状態をドライアップといいます。点滴などなかった昔は、皆そうやって自然に死んでいけたのです」

 枯れ木が倒れるように…。父(79)と夫(48)は母の死より前に病院で亡くしました。精一杯世話し、後悔はありませんが、大切な人とは1日でも長く共に生きたい、そして自然な別れをしたいと願うようになりました。 

(2009/03/13)