産経新聞社

ゆうゆうLife

妻が生を手放した瞬間

 茨城県牛久市 会社員 府馬(ふま)晃 61

 14、15日付「病と生きる 加藤登紀子さん」を読んで、亡くなった妻を思いました。加藤さんが看取りの時を「死ぬ直前は、ずっと呼吸を一生懸命してきて、最後にマラソン選手がゴールしたときのように『生』をふっと手放した。一瞬で」と話していましたが、その状況が妻のときと同じでした。

 妻は昨年9月、直腸がんで手術を受けて人工肛門をつけ、回復したかに見えましたが、放射線治療を受け始めて日に日に衰弱し、退院したものの、出血が止まらず、再手術の甲斐なく、今年1月、57歳の生涯を閉じました。

 死ぬまでの10日間は「苦しみ抜いた」との表現がぴったりでした。黄疸(おうだん)が顔や手足など体全体に広がり、ほとんど眠れず、口呼吸しかできないため舌は乾き、舌や唇が裂けてきました。よくも10日間、頑張ったと思います。最期は私1人で看取りましたが、看護師がカテーテルでたんの吸引をしているとき、ピタッと呼吸をしなくなったのです。苦しんでいた顔が一瞬で穏やかになり、「生」を手放したという表現がぴったりでした。私たち家族は奇跡を信じて看病に当たりましたが、正直、その瞬間を迎えたとき、ほっとした気持ちになりました。

 妻はどんな気持ちで死んでいったのだろうと、ずっと頭から離れません。ただ、最期を迎えたとき一瞬、穏やかな顔に戻ったことを思いますと、少しは納得して向こう岸に渡っていったのではないかと思っています。今は妻が育て、ご近所の方が何かと気を使って手入れしてくれる庭の草花に癒される毎日です。記事を目にして「あっ、同じだ」と思い、なぜか気持ちが落ち着きました。

(2009/05/22)