(2)妻との「経済格差」
日曜日のリビング。夫はソファでテレビ鑑賞。傍らのテーブルには淹れたてのコーヒーがいい香り。ああ、定年になったら、毎日がこんな感じかなあ、と彼が夢見ていたかどうかは知らない。
朝刊をぱーっと開いて広告を眺めていた妻が、その朝、うきうきした声でつぶやいたのだそうだ。
「私、マンションでも買おうかなあ」と。
いやあ、びっくりしましたよ、衝撃でしたよ、と彼は繰り返すのだが、その衝撃の中身とは、「妻は、そんなにお金をもっているのか!」だったとか。
以来、彼は妻の預金通帳の残高が気になって、気になって仕方がないと言う。が、ほとんどの夫がそうであるように、面と向かってそれを聞く勇気はまったくない。「家計補助で私はパートをしているのよ」とか、夕食の缶ビールを「これ、私のおごりよ」などと言っていたのは、はたして真実だったのか、と思ったりするばかりだ。
「男も定年間近になると、だんだんみみっちいことを考えるようになるんですねえ」
と弁明しつつも、彼は「たかがパートで、マンションを買えるほどの貯金ができるもんですかねえ」と、あくまでも妻の預金残高にこだわっていた。
とりあえず、私は「とかく女は、お金があってもなくても、願望を現実のごとく口にします。私も年中、そういうことを言っては、ひとりで勝手にウキウキしてます」と笑ってみせた。
でも、本当は知っている。
友人の友人に、20年間のパート代を一銭も使わずに、な、な、なんと2000万円もためた辣腕(らつわん)の主婦がいることを。
「夫が定年になったら、それぞれが好きに生きましょうね、と言って、ぱーっと使うんだって。自分のためだけに使うんだって。これってすごいよねえ。計画的よねえ。ああ、アリとキリギリスの寓話(ぐうわ)よねえ」
と、日頃から浪費家で名高い友人はうらやんでいる。
「たかがパートで」などと働く堅実な妻をあなどっていた熟年夫は、いずれ妻との「経済格差」を思い知るかもしれない。
なにしろ、目下の熟年妻たちは、「妻の収入は妻のもの」、「夫の収入は家族みんなのもの」を家計運営の理念としてやってきた。私などは、うっかりしていてその恩恵に浴さなかったけれど、話を聞くほどに、なかなかに賢いわが世代の妻たちよ、と思うのである。(ノンフィクション作家・久田恵)
(2007/01/19)