(5)「離婚宣言」の本音
「定年後の夫婦」のルポを書いたせいかしら。
時々、見知らぬ人から手紙が届く。ほとんどが、この思い、誰かに言わずにはいられない、というもので、真に迫っている。
とくに夫族からは、定年後の妻の仕打ちに、なぜ? どうして? と煩悶(はんもん)しているものが多い。
たとえば、長年の会社勤めから解放されて、ほっとしたとたんの妻からの「離婚宣言」とか。
むろん、青天の霹靂(へきれき)。なぜか、そういう目にあう人って、浮気をしたわけではない、お金をいれなかったわけではない…。
そう、真面目に几帳面(きちょうめん)に働いてきた夫たちだ。妻から、あの時、あなたはああだった、こうだったと、離婚したい理由を言われても、えー? そんなことで? と困惑するばかり。
それでも妻の「離婚宣言」の効果は絶大で、これで夫婦関係はみごとに逆転。やはり、なにごとも守るよりも攻めろ、であるらしい。
ある人の場合、「どうせ離婚するんだから」と妻は家事を放棄。会話も途絶。家庭に居場所を失った夫は、いたたまれなくなると、傷心の心を抱いて旅へ。
そして、7年かけてやっと離婚を承知したけれど、そうなってみると、今度は、妻がああでもない、こうでもないと煮え切らない。
ああ、あ、と思う。
バツイチの私が言うのもなんだけれど、どうしてまた、こんなに真面目に彼は「妻の離婚宣言」に悩み続けちゃったのだろう、と思う。人の願望と実践の間には、大きな隔たりがある。
そもそも、「熟年離婚」って、夫婦の仕切り直しのための妻からの単なる提案にすぎない場合もあるわけで、こんなことに驚いてはいけないのである。
そもそも、妻に離婚を言われて「おれがなにをした?」というその問いそのものが、間違い。
むしろ、こういう場合は「おれはなにをしなかったのか?」と問う方が分かりやすかったはず。
そして、たぶん「しなかったこと」の中身は些細(ささい)なことだ。
たとえば、時々、自分でお茶をいれて、「キミも飲むかい?」と言ったかどうか、とか。
ま、そんなこと。
夫がそうであるように、妻だったり、母だったりすることも、家族の中では孤独なこと。時には「愛」を注がれたい。
そのことに、夫が気づいていたら、こんなことにはなるまいに、と人ごとながら、つい考え込んでしまう私だ。
(ノンフィクション作家・久田恵)
(2007/02/09)