(11)我が家の憲法
10年前。父が81歳の時だ。彼から「我が家の規範を決めたから、これをみんなに配りなさい」と紙を渡された。
なんと、表題が「我が家の憲法」。
前文には、次のように書かれていた。
「我が家に於いては各自独立した人格を有しつつ、快適な共同生活を維持するため以下の様に定める」と。
ほほう、なかなかではないか、と読み進めると、「各自は経済的に独立して自らの職に専念従事せよ」とか、「各自その生活を透明にすることにより信頼されねばならない」とか。
さらに、共同生活上の、費用の分担、防災、事故防止の定めなど、いろいろ書かれてある。
そのいちいちに、思わず笑ってしまったのだが、父は大まじめ。そもそもは、一時、親戚(しんせき)の女子大生がわが家に同居することになったのが、きっかけだった。
「年ごろの女の子を預かるのなら、暮らしのルールを決めなきゃ」と、私が言うのを聞いて、家の憲法の起草は家長の役目と、父は案を練りに練ったらしい。
娘の私と同居して12年目。その間、老いた父の日々は大変だった。車椅子の妻の介護や幼い孫のしつけ。家事や子育てをめぐって、働く娘とは衝突ばかりが続く。
なにか厳しいことを言えば、「もう、できない。だったら、私、出ていく!」と言われるわけで、元企業戦士の父の老後の人生は、思いもかけない展開となった。
人の価値観というものは、長い生活の中で、深く内面化されてしまっている。そうそう変わるものでもない。でも、日々のやることが激変したり、立場が変わったりすると、いつのまにか違う人になっていくものなのかもしれない。
父の起草した「我が家の憲法」のとある個所で、私は驚きのあまり、目を見張ってしまった。
「我が家には主婦が存在していないことを鑑(かんが)み、互いに配慮し合い不便なく生活を円滑に行ふ様心掛けなければならない」
父によって、経済的自立ばかりではなく、主婦役に依存しない生活自立もまた、「我が家の規範」とされたわけで、私としては、感慨深し、であった。
むろん、その後、わが家のこの「憲法」が正しく守られたかどうかは怪しい。
が、少なくとも各自が、自分の居方、あり方が、この家においては、是か非か。家族としての守るべき規範への意識がはっきりしたことは、なかなかによろしいことであった。(ノンフィクション作家)
(2007/03/23)