(20)マザコン娘と子離れせぬ母
日曜日の夕方。
取材に出掛けた帰り道のこと。たまたま電車のボックスシートで、相席になった30代とおぼしき男性が2人、休日だというのにスーツ姿で、帰宅途上にある様子だった。この2人が、である。延々と家族の愚痴を言い続けるのであった。
こういうのをなんというのだろう。
目のやり場、ではなく、耳の行方に困る、というのか。私は、読書にふけるそぶりでやりすごしたが、たっぷり中身は聞いてしまった。
「掃除して、洗濯して、メシ作ってですよ、そこまでやられると、おれ的には、ちょっときついすよ。こういうのいいのか?と思いますよ。だけど、余計なことを言えば、じゃあ、お前がやれ、なんてことになってもねえ」
問題になっているのは、どうも妻の母らしいのだ。結婚した娘の家に年中やってきて、家事全般を取りしきっているらしい。
「ママが好きでやっているんだから、いいのよ」と妻は意に介さないが、自分のパンツまで、「妻の母」に洗われてしまうことをどう考えていいものか、そこのところをどう問題にしていいものか、ということを同僚に意見を求めたりしていたのだった。
が、しかし、同僚の方も「妻の母」に閉口しているらしいのだ。「今日も帰れば、来ていると思うんだけどさ。気をつかわなくていいわよー、とか言われるけど、やっぱ、風呂上がりに、パンツいっちょでビールってわけにはいかないすからね。自分の家なのに、くつろげないすよ」
彼らの愚痴話に、時々笑いそうになったが、その中身にはしみじみ時代の変容を実感させられた。
かつては、この手の話は、決まって「夫の母」の問題であったはず。目下の問題は、どうも「マザコン息子と子離れしない母」ではなく、「マザコン娘と子離れしない母」が中心らしいのだ。
そういえば、私の周りでも、息子を持つ同世代の母たちがぼやいている。
「今は、結婚したら、息子は婿(むこ)にやったと思うしかないの。息子の家なんかに、ちょくちょく顔を出したら、お嫁さんに嫌われちゃうからだめなのよー」と。
かくして、「嫁しゅうとめ問題」より、「婿しゅうとめ問題」。どうもこれからは、こちらが主流になるようだ。
電車での婿たちの愚痴話は、終着駅に着くまで、とどまることをしらず、こういう「愚痴る男」もまた、最近のトレンドなのかもしれない。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/05/25)