(22)お出掛け自由人
何年か前、友人と「ホテルでランチ」をしながら、「これを1度、やってみたかった」と、昼からワインを飲んだことがある。
実は、介護と子育てに追いまくられていたころ、私は、まわりの女性を「お出掛け自由人」と「不自由人」の2種類に分け、前者をうらやんでいたのだ。
むろん、こちらは正真正銘の「お出掛け不自由人」。
仕事の打ち合わせで出掛けても、友人と会っても、「早く帰らねば」と、そればっかり。いつも落ちつかない。
まるで、家庭と自分がゴムひもでつながっていて、どんなに遠くまで行っても、パチン! とすぐ戻されてしまう感じ。
おまけに、思春期の息子が不登校中で、車いすの母と彼を残して出掛けるのは、仕事とはいえ、なぜか後ろめたい、そんな時期も長かった。
何かにつけ、自由になりたい、自由になりたい、と呪文(じゅもん)のようにつぶやいていた。
ちょうどそのころ、昼間のホテルで、ワインを飲みながらランチをしている主婦を見て、こういうことのできる優雅な人たちもいるのかと思った。ちょうど、バブルのころで、主婦の「ホテルでランチ」が、流行していたのだ。
そんなわけで、「昼からワイン」には、きっと女の自由の味がする、などと思っていた次第だ。というようなことを話すと、その時、「お出掛け自由人」の友人は深々とため息をついて言ったのだった。
「でもね、自由だった分、怖いわよ」と。何がって、これからくる夫の定年や、介護が、である。自分には「お出掛け不自由」はとてもとても耐えられそうもない、と。
このように、女性の「お出掛け自由」に関するあれこれは、男性にはわかりにくそうだけれど、なかなかに手ごわいものなのである。
けれど、いまや、私は1人。
「お出掛け不自由」からは、すっかり解放されてしまった。こういう日が自分の人生にも降って来るものなのねえ、と拍子抜けした感じだ。
そして、実は、そうなってみると、なんだって、私は「ここからどこかへ行く自由」ばかりに、かくもこだわって、あんなにも悶々(もんもん)としてきたのだろう、と不思議にさえ思ってしまう。
今はむしろ、「ここにいて、なおかつ自由とは、どういうことか」、そのことをこそ考えねばならない、などとワイン片手にお出掛けもせずに思うのである。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/06/08)