(29)「ひとりでご飯」の悦楽
コンビニが「団塊世代」向けのお弁当を売り出すそうだ。
健康を考え、和食のそうざいが中心のカロリー控えめのお弁当とか。
それを聞いて、ちょっと、ドキリ。それが、もしおいしかったりしたらどうしよう。この私、食事時になると、コンビニへ日参しかねない気がする。
実は、ひとり暮らしの身としては、食事は自分で作る、をモットーにしている。が、すぐ怠惰になる。このごろ、ご飯も「電子レンジで2分」が続いている。コンビニでも売っているレトルトご飯が、炊飯器で1人分炊くよりおいしい。ほどよい量で、食べ過ぎないですむ。
それと生協で宅配される冷凍そうざいが定番だが、ここ数日は、忙しく、かつ食料も底をついた。で、この「2分チンしたご飯」と納豆と頂き物の「のり」という簡便な食事が続いた。
それで、とうとう欲求不満に陥った。どうしたかと言うと、この私、電車でデパ地下まで行って、「おいしいもの」を仕入れてきた。
その自分好みの「おいしいもの」だけをテーブルに並べて、ビールを飲みつつ、テレビを見つつ「ひとりでご飯」をしたのだけれど、しみじみ、シアワセだなあ、と実感してしまったのである。
そんな自分が怖い。
毎日、食事を作り、家族と食卓を囲みながら食べる、そんなスタンダードな生活から、わずか2年で、あまりに遠くまで来てしまった思いがする。これって、延々、家族のために食事を作り続けてきた反動のような気もするけれど、いったんこれから解放されると、元に戻れなくなりそう。
しかも、「ひとりでご飯」は個食と呼ばれ、「さびしい」の代名詞だけれど、実は、この「さびしい」はなかなかの悦楽なのだ。
思春期以降になると、子供も「ひとりでご飯」をしたがるけれど、なるほど、と思う。でも、これを続けたら、たちまち家族は崩壊だ。
せめて、「ひとりでご飯」は、子育てを終え、夫婦ふたりになったときからか。お互いが、今日はコロッケ、明日は酢豚、と別々に出来合いのものを買ってきて、別々に食事をする。1日に1食は、スーパーやコンビニのお弁当だったりして。
なにを隠そう、実は、そういう夫婦が50代を中心に、かなりの勢いで増殖中らしいのだ。
じゃなきゃ、コンビニが「団塊世代」向けのお弁当なんか売り出したりするはずがない。
「夫婦」って、「家族」って、どこに向かっているのかしらねえ。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/07/27)