(33)妻の「静かなる絶望」
「あの一言で、ああ、もうこの人との関係は終わったなあ、と思ったのよね」と、ある妻が言った。
しかも、その夫に対し格別の怒りもなし。逆上もなし。むしろ、静かな気持ち、とか。
「もう、この人とは理解し合えない。言い合いをして、エネルギーを浪費するなんて意味がない、そう思ったわね」
以来、彼女は夫とは、日常の最小限の会話しかやりとりしない。同じ家に住んでいて、語り合うことはない。だからといって、何の支障もないという彼女を、夫のいない歴の長い私はいまひとつ理解ができない。
「だって、ほら、関係がすでに終わっているから。なにも期待がないから。感情というものも生まれてこないのよ」
へーっ、そういうもの?と思うが、まわりの妻たちに聞いてみると、これが、一様に「ウン、ウン、分かる気がするわねえ」との答えが返ってくるのだった。
「けんかをする気力もなくなった関係というのかしらねえ。いいも悪いもない、ということね」「そう、静かなる絶望、とでもいうべきかしらね。だいたい、離婚をしたい、なんて思うのは、むしろまだまだ関係が熱い、ということだと思うわよー」
夫婦と言っても、むろん、いろいろだろうけれど、結婚も三十数年が経過すると、夫との関係について、まるで悟りを開いたような境地で語る妻たちが少なくないのである。
それにしても、妻に「関係が終わっちゃった」とまで思わせてしまう夫の一言ってなんだろうか。
聞けば、ある夫は、しゅうとを看取(みと)った妻に向かって、ある日、きょとんとした顔で聞いたという。
「親の介護ってさ、お前、何か、したんだったっけ?」
別の夫は、子どもの就職を心配して話題にする妻に「悪いけどさ、おれは子どもの将来とかには興味はないから」と言ったそうな。
さらに、ある夫は長年、しゅうとめとの同居を続けてきた妻にこう言ったとか。「そりゃあ、男は妻より母親がいいに決まっているんじゃないのかあ。フツウは?」
あらためて聞けば、思わず、笑えてくるせりふばかりだけれど、いずれも夫は、自分がどんな決定的な一言を妻に発したのか気づいていない。妻が自分の人生をかけて、これまで何に献身してきたかの核心が見えていない。
確かにね。これじゃあ、ある種の妻たちが「静かなる絶望」と言うのも、しかたないのかもしれない。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/08/31)