得ダネ情報 住まい 転職 為替
powered by goo

文字の大きさ:

 
 
 

 

icon

得ダネ情報

 
 
ゆうゆうLife
 

(35)修復可能な関係

 息子と電話で言い合いをした。

 いやあ、久しぶりに気分が高揚したわ、と、電話を置いた後、思わずにやにやしてしまった。

 最近は、父が90歳を過ぎて達観してしまい、息子が自立して大人になってしまい、信じがたいほど家族関係がおだやかになってしまっていた。

 が、しかし。かつてのわが家は、なにかと大げんかの家族だった。日々、バトルを繰り返していた。特に、同居する父と私との関係が大変。些細(ささい)なことをきっかに、たちまち「出ていけ」とか「出ていかない」とか、「私の人生、どうなるの?」とか、「ワシのことを捨てる気か」とか。

 ねえ、そこまで赤裸々に言っていいの? という果ての果てまでいってしまうのだった。

 息子が思春期になると、そこに彼も加わってきて、さらに事態は混沌(こんとん)。家庭は安らぎの場どころか葛藤(かっとう)の現場。私は、もうやっていられない、とついに「家族の解散」を宣言したほどだった。

 そんな家族だったので、息子が小学生のころ、母親の私にクレームをつきつけてきた。

 わが家にけんかが多いのは、母のせいだというのである。私が、自己主張をしすぎる、ということ。

 「おじいちゃんの言うことにおかあさんが、反論しなければ、ウチは平和になる。そうしてみてはどうか」だって。

 その時、苦し紛れに息子に言ったことがあった。けんかは大事なのだ、と。考えをぶつけ合わなければ、人は理解し合えないのだ、と。

 特に家族はそう。でも、どんな激しいけんかをしても、翌日には、なぜかケロッとして(ストレスが発散されて)、仲良くというわけではないものの、一緒にご飯を食べたりできる。

 つまりは、「修復可能な関係、それが、家族です。だから、安心してどんどんけんかをすればいいのよ。おかあさんは、自分の人生をかけて、おじいちゃんといつも戦っているのです」

 そう言ったのである。

 切羽詰まると、人はなかなかいいことを言う。息子は、これで納得したのかどうかは分からないが、私が父とけんかをして泣いたりすると、「修復可能な関係なんだろう」などと言うようになった。

 家族を卒業してしまうと、ああ、あの葛藤(かっとう)の日々が懐かしい。

 遠慮なくけんかができる相手がいるということは、気分は高揚するし、日々が活性化するし、それなりにとってもシアワセなことだったのだなあ、と思えてならないのである。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2007/09/14)

 

論説

 

 
 
Copyright © 2007 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved.