朝、目覚めると、まず手帳を見る。うっとしいなあ、と思うが、しかたがない。
どこにも勤めていないフリーの身は、自分で自分を管理するしかないから。自分で決めたスケジュール通りに仕事をこなさないと、とんでもないことになるのだ。
でも以前はもっと大変だった。仕事のほかにも、主婦役、母親役もこなしていたので、やることが錯綜(さくそう)。スケジュール帳は常にびっしりだった。
クリーニングを取りに行く、少年野球の当番、地域の会合、献立予定、買い物メモ。仕事も、いくつかが同時進行するので、混線しないよう、いつ、誰に電話をするとか、いつまでになんの本を読むとか、1日ごとに書く原稿枚数まで、もう事細かに手帳に記入していた。まるでスケジュール帳に支配されて生きている感じだった。
が、今は、家族を卒業して、ひとり暮らしなので、スケジュールも実にシンプルになった。空白も目立つし、予定がなければ、花を植えようかなとか、総菜の作りおきをしようかなとか、かなり解放された。
よかった、よかった、である。
ところが、世の男性には、せっかく仕事から解放されても、「スケジュール帳埋め尽くし症候群」になってしまう人が少なくないらしいのだ。
以前会った、定年後のある男性もそうで、空白のスケジュール帳を見ると、どうしようもなく不安にさいなまれて、いたたまれないのだそうだ。聞けば、現役時代の彼は、ともかく忙しかったとかで、その後遺症が重いらしい。
それで、定年後も、中小企業技術アドバイザーとか、シニアライフアドバイザーとか、行政の公募する生涯学習運営委員とか、地域のサークルの会長とか…。
それはもういろんなことをして、日々のスケジュールを埋め尽くす努力をしていた。
見せてもらうと、手帳は予定がびっしりで、目が回りそう。
「いやあ、こうじゃないと、安心できないんですよねえ」
いやはや、私はスケジュールがいっぱいだと焦ってしまうのに、彼は空白があると、強い焦燥感に陥るのだ。
先日出会った男性も、すでに定年後と聞いたが、もらった名刺の裏には、十数もの肩書が記されていて、忙しい、忙しい、とフル回転中だった。
突っ走り続けた人生、急にはブレーキがきかないのかしら。男性もなかなか大変のようだ。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/10/05)