パソコンと付き合い始めて、14年。あっというまの月日ねえ、と感慨深い。
フツウの親ならば、子どもの年を数えて感慨にふけるのだろうが、私にはパソコンが…。
実は、パソコンを始めたのは、息子の不登校がきっかけ。そう、15歳で学校に行かない!と主張する彼に、ならばこの機会にパソコンを与えて熟達させ、将来の自立に備えさせようと購入したのであった。
学歴がなくても、パソコンと運転免許があれば、仕事ができるんじゃないの、と思った次第。で、親も何かに必死で取り組む姿勢を見せねば、と彼と競争でパソコンにチャレンジしたのだった。
が、最初は、触るのも怖かった。
パソコン画面が立ち上がるときのジャン!という音に、キャッ!と叫んで跳び上がるありさまで、息子から「大丈夫、別になにをしてもパソコンは、爆発したりしないから」と言われた記憶がある。
むろん、年齢格差は絶大。彼が、マニュアル本も読まずにたちまち操作を会得し、「これくらいフツウだろう」と、パソコンを華麗に扱う様子に、「おお! 不登校だけど、天才なんじゃないか」と思ったほどだった。
それもこれも14年前の懐かしくも遠い思い出。が、しかし、である。これほどの年月をかけてもなお、私のパソコン技術が、さほどの進展をみていないのが不思議だ。仕事柄、パソコンなしでは、もう生活が成り立たない、食べてもいけない、という時代に突入しているというのに…。
今や、あらゆる仕事の依頼、問い合わせがメールで届く。こちらからの原稿送付も、ワードで打ち込んで、メールで送付。仕事の相手と顔を合わせることもない。
私にとって仕事をする、ということはパソコンの前に座るということで、これを嫌いとか苦手とか言ってはいられないのだ。
これからは、自営業者はすべからく、インターネット上にホームページを作成して、自己アピールしないと「現役で仕事しています」ということにはならなくなりそうな気配だ。
そんな時代に、四苦八苦しながらなんとかついていけるのも、息子が不登校になったおかげ。あのきっかけがなかったら、いまだビデオの録画さえままならない機器音痴の私が、パソコンを扱えるようにはならなかっただろう。
人生、なにが、どこで幸いするか、過ぎてみなければ分からない。それがしみじみと面白い。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/10/12)