気がつけば、女の1人暮らしも4年目。すっかり、1人に慣れ親しみ、「おさびしいでしょう?」などといわれると、思わずきょとんとしてしまう。
そう。「1人がさびしい、なんて、どういう感情のことを言うのでしょうか?」というふうになってしまっているのだ。
自分に家族がいて、子どもを育てたり、介護をしたりで、あわただしい日々を30年近くも送っていたなど、もう忘却のかなただ。
思えば、予想外の人生の展開である。いや、母子家庭だったのだから、いずれは、こうなるはずではあったのだけれど、結局、人は自分の数年先の人生にさえ思いが及ばずに、日常を生きるもののようだ。
実は、中高年を過ぎてから、私のまわりには1人暮らしを始める同性の知人が増えている。
むろん、事情はさまざま。思いがけず、夫を早く亡くした人、想定外に熟年離婚しちゃった人、夫の定年後、話し合って期間限定で別居に踏み切った人、子どもが自立して、さっさと家を出ていった元母子家庭の母など。
なかには、「子育てが終わったら、それぞれに生きましょう、とすでに夫と公約済みなの」という40代もいて、50代後半くらいから、60代、70代…、と年齢が高くなるに連れて、「1人暮らしの女」が増えていく。
なんせ、女は長生きなもので、わが父の入居する老人ホームなどは、「女の園」と化している。
なかなかに、心強い。しかも、1人暮らしになった女たちに聞いてみると、いずれも、「思っていたほど、さびしくなんかないもんねえ」とのたまう。
そう、むしろ誰に気兼ねもないのが気楽。好きな時に出掛け、好きなものを食べ、自分の生活が好きにコントロールできる感じが、かけがえがない、と言う。
これに、つかず離れずの女友だちが1人、2人いれば、もう最高、と。なるほど、と思う。さびしさにことのほか弱いのは、実は男であって、女は驚くほど自己完結して生きられる動物であったのだ。
アンケートによると、高齢になるほど「さびしい」という人が少なくなるそうで、とある本に、その理由が分からない、と書いてあった。けれど、それは、高齢になるほど女の比率が高くなるせいではないかしら。
そう、女は孤独に強し。このごろの私など、このまま「孤老」となって「孤独死」して、それはそれで満足だわ、とまで思う次第だ。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2007/11/30)