わが家には、いろんな人がやってくる。
自宅できまぐれにお茶会をやったり、読書会をやったりしていることもあるけれど、女の一人暮らしの家は、いつだってどっかお気楽だ。
突然、夫が帰ってきて「あ、どうも」とあいさつされて、つい腰が浮くこともない。子どもが帰ってきて、訪問者の自分が突然、家族の侵入者になってしまった気分にもならない。
すこぶる居心地がいいらしく、必然的にみな長居になる。
先日も、仕事の打ち合わせに来た人が、たまたま遊びに来ていた私の友人と出会い、子育て話で盛りあがり、とどまることなく話し込んでいった。
「今、息子が思春期で…」「じゃあ、すごく不機嫌でしょう? いまに家のドアの一枚くらいは穴があくわよー」
「いえ、すでに、あいてます。こんなのウチだけだと思って…」
「大丈夫よ。どこの家も、穴があいているのよ、みんな言わないだけよ。いずれ嵐は過ぎるから」
自分がその渦中にあったときは、ああでもない、こうでもないと散々悩んだことも、過ぎてしまえば、この余裕。後輩母親の役に立っているじゃないの、とそばで聞いていて思わずにやにやしてしまった。
かと思うと、20代の嫁の立場と60代のしゅうとめの立場の人が遭遇し、お互いの気持ちに、「へーっ、そういうものなんですねえ」「そういうものよ」と、妙に納得してうなずきあったりする。
いわば、女の異世代交流の場。
これが男同士だと、異業種交流ということで、まずは名刺を交わし、仕事情報の交換の場になるのだろうけれど、女同士では決してそうならない。
仕事の話はそっちのけで、もっぱら家族を巡る話になる。とりわけ、子育てと介護。このふたつは、体験的なノウハウが、求められるテーマだ。目下、渦中にある人同士というのも共感しあったり、愚痴を言い合ったりできていいけれど、体験済みの人からの具体的な情報には、説得力がある。
険しい道を歩いているときに、遠くから「そこデコボコしてるけれど、じきに平らになるわよ、その後急斜面、体力温存して」などと言ってもらっている感じ。
そもそも、どこかへ行くとき、だいたいの道順を知っていれば、大きく迷わずにすむ。女の異世代交流は、実にかけがえがない。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/02/15)