産経新聞社

ゆうゆうLife

(56)細切れ人生

 目下、高齢の父のベッドの傍で音楽を聴いている時間が多い。おかげで私も、つい過去を振り返りがちになる。

 思えば、いろんなことをしてきた。いわば「細切れ人生」。数えたら、20代で20種以上。仕事転々。昔、息子が誰かに言っていた。

 「母は仕事の続かなかった人のようなので、僕はラクです」

 母よりマシってことかしら。

 おまけに、同棲(どうせい)、結婚、離婚。わが人生はめまぐるしい。

 子どもを生んでやっと実人生、と思えたのは30代から。で、経済自立せねばと焦ったものの、就職口はなし。しかたなく、自主自営で、やみくもに仕事をしてきた。

 編集プロダクションのようなものを作って、経験もないのにいきなり原稿を書いてみたり。赤ん坊連れで取材に行って、ひんしゅくをかったり。が、あんまり必死だったので、まわりが迷惑していることに気が付かなかった。

 シングルマザー同士で、仕事を分け合い、自立を支え合おうと、事務所を持ち、名刺も作り、女性誌のページをまるごと請け負ったこともあった。

 が、親の介護が降ってきてそれもオジャンに。いたしかたなく在宅で一人でできる物書きの道を行くことになったわけで、それはそれで40歳までになんとかなったのだから、別にいいのだけれど。

 子育てと介護、この女の人生に降りかかる2つのテーマに翻弄(ほんろう)され、やろうとしていたことが、常に寸断されてきたように思う。

 そして、その度に、あれをやってみたり、これをやってみたり。じたばた。今となってみたら、自分が本当はなにがやりたかったのかわからない。

 が、こんなふうに思っているのは、私ばかりではないようだ。子育てを終え、ふと忍び寄る「私、本当はなにをやりたかったんだろう」症候群。

 50代半ばから60代前半、定年後の男性にも似た心境に、実は女性たちも襲われるらしいのだ。

 ある人が、言った。

 「だからね、ここで再選択をしましょう。私がやりたくてやってきたことはこれなんだ、って、自分で選択し切りましょう」

 この「再選択しましょう」は、目下、私の周辺ではやっているのだけれど。どうかなあ、今、自分がやっている仕事、再選択したいかなあ、それが問題だ、と知人が貸してくれたフジコ・ヘミングのMDを聞きつつ「ねえ、私、なにがしたかったんだと思う」と、今さら老父に聞いている私である。(ノンフィクション作家・久田恵)

(2008/02/22)