産経新聞社

ゆうゆうLife

(57)「言葉とは、他者である」

 1人暮らしをしていると、「ひとりごと」が多くなる。

 朝起きたら、鏡の中の自分に向かって、「おはよう! 今日も元気でね」とあいさつしている。

 ほかの人が聞いたら、不気味だろうなあ、と思うけれど、このクセが直らない。

 昔は、気が弱くて面と向かって人に言えない文句などをぶつぶつ言っていた。ものすごく腹が立ったときは、壁に向かって誰かを罵倒(ばとう)して怒りを発散させたりもしていた。

 最近は、家族もすでに解散。仕事も自営。人間関係の葛藤(かっとう)はほとんどない。もっぱら、自分で自分に文句をつけたり、自分で自分を叱責(しっせき)したり、自分で自分を励ましたりしている。

 「もう、あなた、なにやってんの。しっかりしてよ」とか、「やるべきことをすぐしないから、後でつらいことになるのよー」とか。

 さらに、もうひとつ。自問自答もすごく多くなった。

 「ねえ、この点についてどう思う?」と自分に聞いて、「うーん、こういう見方も必要なんじゃないの」と自分で必死で応えたり。

 自己完結型のひとり生活が、すっかり身についてしまったわけだけれど、でも、やっぱり、こういう私はおかしいのでは?と思っていた。が、先日、心理学の本に「言葉とは、他者である」とのフレーズがあって、目がひらかれた。

 確かに、自分の中でもやもやしている気持ちや、混乱した考えを「言葉」にしたとたん、気持ちがくっきりしたり、考えが整理されたりする。

 「言葉」は、常に他者として自分に向き合ってくるものなのだ。

 となれば、自問自答の「ひとりごと」は、1人で生きる練習には効果的かもしれない。

 女同士でそんな話をしていたら、ある人がいきなり声を上げた。

 「分かったわ! 私の人生に足りなかったものは、その自問自答だったのよー」

 彼女いわく。思えば、答えを「他人」に求めすぎてきてしまった、期待した答えが「他人」から得られないことにずっとずっと悩み続けてきた、と。でも、自問自答して、自分とだけ語り合って、答えを出して人生をやっていけばいいのね、と妙に納得していた。

 で、その「他人」って誰?と聞いたら夫だった。

 今後は、「自問自答で自己完結して生きる」と宣言した彼女の家庭生活がどうなってしまうのかと、目下、気に掛かってならない。(ノンフィクション作家)

(2008/02/29)