先日、父が91歳で逝ってしまった。彼の望み通りに、傍らで手を握って付き添い、看取(みと)ることができたので、娘としては幸せだった。
思えば、彼は、私が人生で一番長く暮らした家族であった。
そう、通算38年も!
とりわけ、介護ホームに入るまでの、父の70歳から88歳の晩年の18年間は怒濤(どとう)の日々だった。けんかを繰り返し、お互いが疲労困憊(こんぱい)して、最後は悟りの境地。
家族が1人去り、また1人去りして、もう残った者同士で仲良くやっていくしかないね、と腕を組んで銀座にフランス料理を食べに行ったり、2人で旅行に出掛けたりしたものだ。
なにしろ、他にいないから。
きっと、長年暮らした夫婦も、この悟りの境地にいずれ至るのだろう、と思う。
それまでは「せっかく夫がいないのに、まるで夫がいるみたいに不自由だわ」とか、「夫なら離婚できるのに、それもできなーい」などと言い散らしていた。
が、父は親の強みで「お前ごときに何を言われようと、わしはいっこうにかまわん」と、どこ吹く風だった。
そして、生活費の分担金を厳しく言い、経済自立を強いながらも、仕事に出掛ける私に向かっては「お前は、どこへ行く」、「何時に帰る」と問い続けた。
たまらない父だった。
が、その分、思い出は満載。私の記憶には、さまざまな突拍子もないエピソードが残され、いなくなってしまっても、常に父が傍らにいるようなのだ。
晩年、父はよく、人に会うと言っていた。
「あれですなあ。子連れの出戻り娘ほどいいものはありませんなあ」と。
「そうですか?」と聞かれると、「そりゃそうですよ。あっちが居候で、こっちは親だから大威張りだし、孫がいればかわいいし、出戻りの娘と暮らすのが一番、お気楽ですよ」。
意表をつかれて相手は、「なるほど」と感心していた。
老いた親の介護のために、「一緒に暮らしてあげている」と思っていた私には、「なにを勝手なことを言っているのか!」という思いだったけれど。
どうも、親子でも、夫婦でも、平穏な関係ばかりがいいわけではなさそうだ。記憶に残る印象深いエピソードをどこまで残せるか、それが勝負だなあ、という思いがする。(ノンフィクション作家・久田恵)
(2008/03/07)