親、とりわけ母親の愚痴を言う人が少なくない。20代、30代、いやあ、50代、60代になっても…。
人の愚痴を聞く度に、うちの母親もそうだったな、と共感してみたり、あれ、私も、そういう母親だったかも、とドキッとしてみたり…。
つまりは、母と子の関係は、もう、いいじゃない、とは、なかなかいかない永遠の課題のようだ。
ある人は、すでに結婚し、子どももある身で、一見、なんの問題もなさそうなのだけれど、実は、母親の呪縛(じゅばく)から自由になれず苦しんでいると言う。
彼女の場合、実家の母親から電話が来ただけで、いらいらして、つっけんどんになって電話を切ってしまう、が、その後、後悔して、何日かはすごーく落ち込んでしまう、のだそうだ。
聞けば、子どものころから、娘の彼女が自分の意に染まぬ選択をすると、すぐ病気になって寝込んでしまう母親なのだそうだ。
受験、就職、結婚、すべてそう。今や、孫のことまで、いちいち母親が悩んでしまう。
「いいのよ、あなたがそうしたいならそうしても…、と優しく言いつつ、悲しい顔をするのよ。それって、一番、親としてたちが悪いと思うんですよ」
そうか、悲しい顔で脅迫するのか。これはなかなかに大変だ。
要するに、子どもの人生に過度に介入する母親、というのが子どもを苦しめるわけで、「あなたのためよ」と言いつつ、実は「自分のためよ」というのが透けてみえたりする。これはまずいかも。
いろいろ聞いていると、結局は、一番いい母親は、タフで自分勝手。
「まったく」とまゆをひそめられても、楽しそうに親が生きているのが、子どものためにはいいのだろう、と思う。
そういえば、昔、精神科の医者が、声を潜めて言っていた。子育てのコツは、優しすぎる母親より、ちょっと冷たいぐらいの母親でいるのがいいんだとか。
なぜって、一生、子どもが愛を求めて、母親を慕うから、とか。そういうのもどうかなあ、とは思うけれど、子どもは子どもの人生、母親は母親の人生、という割り切りが大事かもしれない。
ちなみに、私は、「理由の分からない母親の不機嫌に苦しめられて育った」と息子に言われた母親であるので、大きなことは言えない。
でも、理想の母親など、世間にはきっといないのだろうと思う。愚痴を言ったり、言われたりしているうちが華かもしれない。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/03/14)