産経新聞社

ゆうゆうLife

(62)久田恵

 ■男女間の暗くて深い川

 ある大手企業の依頼で、「高齢者の介護」について話をするという稀有(けう)な体験をしてしまった。

 なんと聞き手は男性のみ。

 しかもおおむね40代、50代の働き盛り。全員、仕立ての良い紺系統のスーツに、趣味の良いネクタイをして、豪華な会議室にずらりと並んでいる姿に目をみはった。

 なんと言えばいいのかしら。整然として、乱れがないというか。まるで、映画の一シーンみたい。

 雑然として、ごちゃごちゃとして色とりどりの混沌の日常を生きているものとしては、別世界に紛れこんでしまった「不思議の国のアリス」みたい…。

 と、われながら、調子の狂った感想を抱いたのだった。

 ともあれ、これまでの自分の人生で踏み入れたことのない場所。

 若い世代はいざしらず、もっとも、専業主婦率の高かった団塊のわが世代のおおかたの女性たちにも、無縁だった場所である。

 ここで、「介護」の話とは、なんたる場違いか。せめて私もバシッとしたスーツを着てくればよかったと思いつつも、これでもかというほど事細かに「介護を抱えた家族の日常」についてくどくどと話をしたのだった。

 話を終えてご質問は?となって、どんなふうに聞いていただけたのかと周りを見回したら、どことなく困惑した空気が…。

 いつまでもシンとしている。

 と、勇気ある男性が声をあげた。

 「自分の人生を犠牲にしてまで、親の介護ってしなきゃいけないものですかねえ」

 ええっ! だったら誰がするの? 意表をつかれて、一瞬、頭の中がまっ白。むろん、最終的には、病院とか介護施設とかで、ということもありますが、そうなるまでの日々、そうするまでのあれこれ、そこにいたるまでの心の葛藤(かっとう)、なんというか、もうてんこ盛りのごたごたの四面楚歌(そか)。目下のこの国の高齢者介護の現実ってそういう事態よ。

 「自分の人生」って言ってもねえ。家事、育児、介護のあれこれ。誰かのオムツを替える、そういうことも含めて、降ってくるものすべてを受け入れて生きるしかないのが「自分の人生」ってことではないのかしら?

 質問をした彼は、家に戻って妻にきっちり言えるのだろうか。

 「キミ、自分の人生を犠牲にしてまで、親の介護をする必要はないんだよ」と。

 やっぱりね。男と女の間には、暗くて深い川がある、そう思った体験だった。

 (ノンフィクション作家)

(2008/04/04)