産経新聞社

ゆうゆうLife

(64)孫恋しさも人それぞれ

 息子夫婦と孫と、家族そろって温泉に行ってきたのよ、とうれしそうに話す人がいた。

 「これがシアワセというものよねえ」と。

 六十代半ば、定年後の夫とふたり、年金でつつましく暮らしている彼女である。

 その彼女が、おかげでヤル気が起きたわ、と張り切っているので、なんのヤル気かと思ったら、パートで働くヤル気。よくよく聞けば、旅行費用はすべて彼女持ち。そうか、そのためのアルバイトね。

 「だって、そうでもしなくちゃ、一緒に行ってもらえないし、孫にも会えないのだもの。今は、みんなそんな感じよー」

 「…」

 思わず、沈黙。

 しかも、若い息子夫婦の気持ちに負担を与えたくないので、自分がパートで働いていることは内緒。

 おお、それって、ちょっと若夫婦に遠慮しすぎじゃないの、好きな時に会いに行けばいいじゃないの、と思うが、彼女いわく。

 息子から「孫はこちらから連れて行くので、そちらからは来ないでくれ」とクギを刺されているのだとか。が、待っても、待っても、連れてきてくれる気配がない。

 で、熟慮の末、私がお金を出すからと、温泉旅行に誘い出し、やっと実現した次第とか。

 なんて涙ぐましい。

 思えば、自分に子どもが生まれたとき、遠方に住む元夫の両親から、「孫に会いたい」と電話が来ると、「面倒だな」とか「勘弁してよ」とか思ったものだけれど、年を重ねると、人はかくも「孫恋し」になるのかと思い知らされる。あのころの私って、配慮がなかったなあ、と昔の古傷がうずく思いがする。

 なんて話をしみじみすると、今年、還暦、すでに孫持ちの団塊世代の知人があっけらかん、と言った。

 「あらあ、私、孫は別に…、よ。そりゃあ、みればかわいいけれど、私の子じゃないもん。孫会いたさに、お金を使うなんて、この私には、絶対、ありえない」

 人それぞれというか、祖父母世代にも、いよいよ個人主義的価値観が浸透しつつある予兆があるというか。

 というわけで、はて、私はどうなるだろう。

 「孫、めろめろ派」になるか、「孫、あっさり派」になるか。

 未体験の今はどっちに転ぶか分からない。それが、なかなかにスリリングだけれど、やっぱりね、孫に会うにはお金がいるなんてことなら、いさぎよく孫に会うのはあきらめる。

 それだけは確かな気がする。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/04/18)