産経新聞社

ゆうゆうLife

(67)人の人生は多面体

 気がめいって外出する気分にもなれないという人がいる。

 娘の結婚をめぐって、けんかをしたのが原因とか。「だってねえ」と彼女は言う。

 娘の相手は5歳も年下。学校中退のミュージシャン志望。どう考えても苦労することが目に見えている相手だとか。親としてはがっくり。

 「ちょっとそれは」と物申したら、娘から「お母さんが、年齢とか学歴とかで、人を判断する人だとは、思わなかった!」とものすごく軽蔑(けいべつ)されちゃった、のだそうだ。

 確かに、彼女の場合、もし、誰かが、娘の結婚相手のことをうんぬんしたら、「親が子どもの結婚に口を出すなんてだめ! 子どもには子どもの人生があるんだから」と主張するタイプである。

 「それが、自分の娘のこととなるとねえ」とか。

 そう、誰しもいざ親の立場となると、日頃の主張はなんのそのかも。娘のいないこちらとしては、「いいじゃないの。波瀾(はらん)万丈の女の人生も面白いよ。あなた、実はそういうのが好きなんじゃないの」といたってのんきに物申したら、「それだけじゃないのよ」と彼女が吐息をついた。

 聞けば、娘がこうもああも言い募って、すごく傷ついたのだそうだ。たとえば「じゃあ、お母さんは、自分より年上で、大卒で、一流企業に勤めるお父さんと結婚してシアワセだったの? そうは見えないけど」とかなんとか。

 いろいろあった結婚生活だったので、彼女はさらにショック。自分の人生をあからさまに辛辣(しんらつ)に問われた気がしたそうな。

 「ほんと、娘は嫌よね。同性として母の人生をすぐ値踏みしたりするから」と彼女は言うのである。

 それを聞いて、ドキッとした。私もそんな類の言葉をかつて母に向かって吐いたことがあったような…。思えば、「母のようには生きたくない」とは、娘世代がよく口にするせりふでもある。

 でも、今になれば、思う。同じ女として娘が母の人生を値踏みするなんてねえ、実に不遜(ふそん)なことだ。

 人の人生は多面体。シアワセもフシアワセもない。私は、こう生きた、それで、あなたはどう生きるの? それだけのこと。

 でも、娘ってものは、実はどこかで、母の生きてみたかった「もうひとつの人生」を生きようとしてしまう存在なのかもしれないゾ。そう考えるなら、娘の結婚相手をどうのこうのなんて、やっぱり本当はね、口出しなどできないものではないかしら。

 (ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/05/09)