定年後、どこに住むかでもめる夫婦がいる。
ある夫婦の場合、夫は故郷の空き家になった実家での田舎暮らしを切に願っていた。妻は、そんなこととんでもない!と…。
「だって、夫には懐かしくったって、私には愛着のない土地だし、なんにもない不便なところよ」
そのなんにもない不便さこそが、素晴らしい、と夫は主張して譲らない。都会派の妻は、むしろ、都心の便利なマンションで暮らすのが長年の夢だったりした。
おかげで、結婚以来、こんなに議論したことがない、というほど議論をした。そして、あまりのお互いの価値観の違いに愕然(がくぜん)。
よく、これまで一緒に暮らしてこれたものだ、いや、私たち夫婦は話し合ってこなかったからこそ、続いていたのね、ということになり、あわや、熟年離婚か、という事態になってしまったとか。
その時である。仲裁に入った息子が言った。
「だったら、お父さんは、故郷で田舎暮らしをして、お母さんは、都心のマンションで暮らせばいいじゃない。簡単じゃん」
さすが息子だ、と妻は心の中で快哉(かいさい)の声をあげた。自分も同じことを思っていたのだけれど、口に出すことができないでいた。
なにしろ、夫には夫婦別居、などという考えは浮かびもしない様子だったのだ。
ところが、息子の提案に、一瞬考え込んだ夫だが、妙に素直に「ま、とりあえずは、それもいいか」と答えた。妻が言えば、キレる夫も、成人した息子が言えば、それなりに聞く耳を持つもののようだった。
しかも、その後はすばやい決断で、夫は郊外の一戸建てのマイホームを売却し、マンションへの住み替えを決行。自分は、ひとりさっさと故郷へと旅立った。
「本当にいいの? これで」と言いかけた言葉を妻は幾たびものみ込んで、夫を見送った。
結果は素晴らしかった。
夫の1人暮らし能力は、思った以上に高く、春には「たまには、遊びにおいでよ」の手紙を添えて、フキやタケノコが送られてきた。胸がジンとして、なんだかうるわしい関係だわ、と思った。
本当は、夫も人生で一度くらい、会社からも家族からも解き放たれて、ひとりの自由を満喫してみたいと心のどこかで切望していたのかも。この別居の期間があってこそ、また再び、夫婦として寄り添えあえるようになる、妻はそんな気がしてならない。
ちょっといい話である。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/05/16)