産経新聞社

ゆうゆうLife

(73)あきらめる

 10年前に、とある場所で声を掛けられた女性から、葛藤(かっとう)に満ちた家族の話を聞かされた。

 3人の子どもがいるが、長男は、ひきこもっていて、二男は大学浪人をいつまでも繰り返していて、末娘は中学のころから不登校。

 夫は「子どもがこうなったのは、お前のせい」と責任を妻に押し付け、単身赴任で地方へ行ってしまった。そんなさなかに、老親に介護が必要になり、もうにっちもさっちも、というような話だったと、思う。

 確か…。

 ただ、印象が深かったのは、彼女の表情が疲労しきっていて、とんでもなく青ざめていたこと。

 おそらく、この家族のてんこ盛りの葛藤をなんとかしようと孤軍奮闘し、エネルギーを使い果たしていたのだろう。

 実はその時、私は、初対面の彼女に、言い放ったそうだ。

 「なんとかならないのなら、もう、あきらめたら?」と。つまり、いいじゃない、子どもなんか、夫なんか、親なんか、自分が大事よ、とかなんとか言ったらしい。

 はて、そんな無責任な言い方をしたかなあ、と半信半疑ではあるのだけれど、彼女は、それで救われたと言うのである。

 「あきらめる! そうか」と、目からウロコだったのだとか。

 で、彼女は、子どものことも夫のこともあきらめたのだそうな。ただ、逃れられなかった親の介護だけは、そこそこ頑張ったそうな。

 そして、10年。

 気がつけば、あの時にはなんともなりそうになかったことが、それなりになんとかなっているではないか、と安堵(あんど)の思いとか。

 長男は相変わらず、定職なしだが、外出したり、家族と話したりするようになったので、「一家に一人の用心棒、なにかと便利」と思えるようになった。二男は、介護福祉の専門学校へ行き、目下、いきいき働いていて、心配していた末娘は、な、なんと結婚。もうじき、一児の母となる。

 夫は、定年後、わが家は子どもには頼れないからと、2度目の仕事を継続中。

 「男も60を超えると、角が取れて優しくなるのね。息子たちのこともあきらめたみたいで」と、夫婦の関係も上々らしい。

 介護を終えてのんびり。好きにやりたいことをやっているという彼女は、はつらつとして10年前よりぐんと若返っているのだった。

 なるほど、「あきらめる」は、人生の大事なキーワードなのかもしれない。

 (ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/06/20)