産経新聞社

ゆうゆうLife

(75)待つものがいない家

 仕事を終えた帰り道、喫茶店に寄った。コーヒーを飲み終えて、時計を見ると夕方の5時を過ぎている。反射的に、帰らなくちゃ、と立ち上がりそうになって、苦笑してしまった。

 今や、家には、だれも待つものがいない。だれかのために夕食を作る必要もない。

 つまり、そう焦らずともいいわけで、このまま、ふらあっと旅に出ても、何日も帰らずとも一向にかまわないのである。

 そうかあ、と実感してしまった。1人暮らしってこういうことかあ…、と。

 思えば、昔から、仕事の帰りに喫茶店に寄るクセがあった。と言うより、なかなか仕事から家へとまっすぐに帰れなかった。どこかで、一息つき、よしっ!と気合を入れねばならなかった。

 いわば、戦場に赴く兵士の気分。

 なにしろ、家に着いたとたん、主婦役の私には、怒濤(どとう)の日常が待っていた。息つく暇もない。まずは、母の介護。父の機嫌次第では、余計なことを口走って、思わぬ地雷を踏む恐れもある。

 仕事中はほぼ忘れているけれど、顔を見れば、不登校の息子への気がかりがよみがえってくる。

 上機嫌で、さばさばして、なんの悩みもないノウテンキな(と思われていた)母親で常に居続けるのは、なかなかの辛抱が必要だった。

 一時は、この私、ほとんど帰宅拒否症に陥って、夕暮れの家の玄関の前に座り込んでいた。ご近所さんに「あら、どうなさったの、気分でも悪いの?」と声を掛けられ、焦りまくったこともある。

 それが、家にだれも待っていない日が訪れるとは…。こんなふうに女の人生が、展開していくものとは、考えもしなかった。

 と思いつつ、ふと見ると、窓際に40代ぐらいの主婦らしき女性が座っている。こんな夕方に、1人で、喫茶店でコーヒー。まるでかつての私のよう。

 彼女は、テーブルの上の携帯電話に手を伸ばすと、はあっと、肩で大きく息をつき、慣れた手つきでメールをし、また、はあっと、こちらに聞こえるほどのため息をついて立ち上がった。

 彼女の家も、目下、戦場なのだろうか。

 目が合ったら、微笑を交わし、エールでも送りたいな、と思ったけれど、むろんまわりになど目もくれず、彼女はそそくさと出ていった。

 家族がいれば大変。いなければさびしい。私も、思わず、はあっ、とため息をつきたくなった。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/07/04)