私、このごろ、どんどん自分がイヤになっていく、と、ある妻がぼやく。
どうしちゃったのだろう? と思ったら、やっぱりね、夫の定年が原因だった。
彼女は、夫が家に居るようになってから、彼のすることなすことに、いらっ、いらっ、とするとか。朝、早起きした夫が、台所でごそごそしている物音を聞いただけで、もう、いらっ、ですって。
「この間なんか、そんなに早く起きないで、ってキレちゃった」
一事が万事そんなふう。
あまりに理不尽、あまりに不寛容、と頭で分かっていても、夫に何かをやられるたびに、いらっ、いらっ。こんなことで、これから2人でうまくやっていけるのだろうか、と、彼女はいちいちの自分のいらっ、いらっ、が胸にこたえているらしい。
おかげで、夫も、ますます挙動不審。理由の分からない妻の不機嫌に戸惑って、もうなにがなんだか分からないらしい。
「それがまた、腹が立つのよ。堂々として、どーんとして好き勝手にやっていればいいじゃない、とか思って」
でも、好き勝手にやられると、また、些細(ささい)なことに、いらっ。
それでは、際限がないではないか、と笑えてくるが、定年後の父と長らく暮らした私には、彼女の家の様子がなんとなく分かる。
わが父も、朝早くからごそごそタイプだった。日中も家を出たり入ったり、無目的に忙しい。暇に耐えられない人なので、落ち着いていられないのだ。
夫に家の中で、ごろごろされてなんにもしないでいられるのも、慢性的ないらーっ、の大きな原因らしいけれど、あれこれ忙しくされるのも、いらっ、いらっ。
そのうち、慣れるわよ、自分のリズムと合わせようとするから、いらっ、とするのよ。あなたのリズム、彼のリズムって、それぞれに刻んでいるうちに、これがまた不思議と合ってくるものなのよねえ、と夫もいない私が、知ったかぶりでなぐさめた。
そう、人は、思った以上に環境への順応性が高い。何年か前、夫の定年による環境変化で、ウツ状態だった妻に聞いたら、すでに新境地を開いていた。
「夫の妻をやめて、夫の母親になることにしたの。もう、それでいいやと思ったら、だいぶストレスがなくなったわよ」
ええっ、母親になっちゃったの? うーん。それってかなり大胆な割り切り方。ひとごとながら、せっかく子育てが終ったばかりなのに、とため息をついてしまった。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/07/25)