産経新聞社

ゆうゆうLife

(79)嫁と姑は“お友達”

 同居しているうちの姑(しゅうとめ)は、ちょっと変わっていてどう付き合ったらいいのか困っている、という相談を受けた。

 どう変わっているのかというと、孫の子守よりも、自分の趣味ばかりを優先する人なのだそうな。週末は、姑と舅(しゅうと)で、温泉旅行とかに遊びに行ってしまう人なのだそうな。

 が、しかしである。

 姑と言っても、50歳代。パートで働いている。その一方、嫁の方は子育てが大変だと言っても、専業主婦なのであった。

 なんかなあ、と思っていたら、別の嫁が、「わが家の困った姑」についてこう語った。

 「うちの姑は、だらしなくてあきれちゃうんです。お風呂上がりにバスタオル一枚で出てきて、ビールをぐいっとやるんですよ、ぐいっと。耐えられな〜い」

 それって、私のことだわ、とギクッとしてしまったけれど、しかしなのである。

 その家は姑の家で、共働きの嫁夫婦は、実家にパラサイトして、ご飯まで作ってもらっている身なのであった。

 また別の嫁が言った。

 「姑に娘の幼稚園のお迎えを頼んだら、転んでひざをすりむかせて、なのにごめんなさいもないんで、もう、キレちゃいましたよ」

 わっ、そんなことくらいで嫁に叱られて、ごめんなさいを言うようには将来なりたくないと、おののいてしまった。

 昔は、姑が一方的に強かったけれど、どうも時代は逆に動いている様子。最近は、はあ、とため息をついているのは、姑の方ばかりのようだ。

 子育てが終わってほっとして、やっと手にした自由を謳歌(おうか)していると、変わっている、とまゆをひそめられてしまうなんてねえ。

 いや、誰になんと言われようとなんのそので、むしろ、変わっている、と先に思われてしまった方が勝ちかしら、とも思う。

 と、いろいろ考えて、思うに、もう家制度も崩壊して久しいのだから、そろそろ、この姑とか、舅とか、嫁とかの固定した旧来の役割イメージは、捨ててしまってはどうかしら。

 ある人が「私は、息子のパートナーを嫁とは思って付き合わないで、友達と思っているのよ」と言っていたけれど、それがすてき。

 お互いが、嫁でも姑でもなく、縁あって出会った世代の違うお友達程度に思って、あらぬ期待を持ち合わない。それを、これからの嫁姑の正しい向き合い方、ということにしてはどうかしら、と思うのである。(ノンフィクション作家)

(2008/08/01)