■さびしさを恐れるなかれ
1人暮らしをしていると、「まあ、それじゃあ、おさびしいわねえ」とよく言われる。
「いえいえ、さびしいなんてことはなくて、気楽で、いい感じですよ」と答えると、「あらあ、気楽だなんて。ほほほ…」と鼻白まれたりする。
ま、これは、世間のあいさつ代わりのようなものだから、素直に、「はい、さびしいです」と言っていればいいのに、つい、つい、余計なことを言ってしまうのだ。
そういえば、幼い子どもと2人だけで暮らしていた母子家庭時代も、よく言われた。いや、もう、しょっちゅう、うんざりするほど。
「まあ、お子さんと2人だけ? おさびしいわねえ」と。とんでもなかった。
生きるに大変で、さびしがっている暇もないというのが現実だった。しかも、過ぎてみれば、あのころは、さびしいどころか、波乱と起伏に富んだ日々で、楽しかったなあ、である。
以前、子どもが自立し、夫を亡くして、同じように1人暮らしをしている60歳代の女性もしみじみ言っていた。
「よく言われるのよ。ひとりじゃ、さびしいでしょう、って。でも、1人暮らしがさびしいだなんて、よほど、それまでがシアワセだった人よねえ」と。
なにをもってシアワセというのかと考えると、むずかしくなってしまうけれど、そのせりふを吐いた彼女の人生は葛藤(かっとう)につぐ葛藤。
とりわけ、夫の横暴に傷つきながら、じっと耐えていた。
それが、1人になって、ほっとして、とうとうはじけてしまった。家中を花でいっぱいにし、好きなもので飾り立て、すっかり若返ってしまった。
で、思うのである。そもそも、さびしくていいんじゃないか。家族がいてもさびしい人もいれば、いなくてもさびしくない人もいる。さびしい、さびしい、といえばまた、さびしくなる、と宮沢賢治も詩の中で言っている。
そう、さびしさをおそれるなかれ、である。
ちなみに、先日、遊びに来た人たちが勝手なことを言っていた。
「女の1人暮らしの家って、居心地がいいよね。誰に気兼ねもなくて、いつまでいたってかまわないし。これが、ほかに家族がいたら、そうはいかないわよ。ずっと、1人でいてねー」
確かに、1人暮らしになってから、遊びに来る人がぐんと増えた。そして、みな、根が生えたように長っ尻になって、私は、もてなし好きになった。さびしいのもいいものである。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/08/08)