産経新聞社

ゆうゆうLife

(82)気分と法律は違う

 ここ1週間、パソコンの前にはりついていたせいで、肩は板のように凝り、目はかすみ、もうふらふらになった。

 四十数年ぶり。大学受験以来のお勉強。いやあ、あの時以上の短期集中。すっかりクモの巣がはっていた脳ミソのお掃除にはなったけれど、このエネルギーの大消費(大浪費?)で、2キロも体重が減った。

 なにもここまでやらなくとも、と思う。でも、物事というのは、ちょっと調べ始めたら、次々、疑問が発生するわけで。えっ、どういうこと? えっ? どういう意味? でお勉強が止まらなくなってしまったのだ。走り出したら、簡単に止まれない。これ、一応ノンフィクションの物書きの私の職業病かも。

 実は、相続税のお勉強。父と長年暮らしていた家は、父の自宅かつ私の自宅という気分でいたけれど、法律上は、父の家。その父は、わが家から徒歩2分の有料の介護ホームで亡くなった。

 そのため、同居している娘の私が「生計を一にする親族」か、ということが問題になるらしい。

 20年も一緒に暮らしていたので、娘とは言っても配偶者みたいなもんで、今の気分はほとんど未亡人、と言っても駄目みたい。

 気分と法律は違うのね。そもそも、法律では、亡くなる、その直前がどうかだから、父の自宅とみなされないこともあるらしい。みなさん、死ぬときは自宅に戻りましょう、そういうキャンペーンでもやっていてほしかった。

 だって、それ次第で、相続する自宅の評価額が80%減になるかならないか。目が点になる。その方面にはなんの知識もなかった私は、へーっ、そうなの?である。

 そもそも「生計を一にする」ってどういうこと? そこからはじめるのだから、大変である。私が「生計を一にする親族」と認められなかったら、誰が認められるのよー、と思っても、これまた法律と人の実感は異なるらしい。

 ともあれ、1週間、勉強をして、ずいぶん賢くなった。知らない、ということは結構、怖いことだと思い知った。

 それに、知識を増やすことは視野を広げる。現実社会の成り立ちや、目下の政府の価値観を知ることにもなる。

 今さら勉強しても…、と思っていたけれど、どうも年を取るほど勉強が必要な時代らしいわよ。なにごとも、自己責任という言葉で、責任を回避される時代。知識は身を守る武器よねえ、を実感しますねえ。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/08/29)