産経新聞社

ゆうゆうLife

(83)父の古い通帳の思い出

 相続税の申告で、税理士さんに「父の古い通帳のチェックをしたい」と言われた。

 ええっ? なんで? と思いつつ、父名義の古い預金通帳を眺めていたら、なんとも言えぬ懐かしさにかられてしまった。

 「恵と旅行、箱根」

 「風呂の手すり」

 「○○へ、小遣い」

 通帳には、ATMで5万円、10万円とお金をおろすたびに、鉛筆で使い道が細かく記されているのだ。

 あの日、あの時の記憶が、次々、よみがえってきて、はあ、と吐息がこぼれ出る。

 父が旅行に行く、と言うのでしようがなく、箱根に行ったら、「わしが、おごってやる」と、ホテルでフランス料理のフルコースを食べさせてくれたなあ、とか。

 年月日を見て、そうか、あれは、父85歳の5月だったのか、とか。

 「お前が危ないから、風呂に手すりをつけてやる」と言ったのは、86歳の2月だったか、とか。

 娘に面倒を見られているのではなく、娘の面倒を見ているとのスタンスを決して崩さなかった彼であった。

 その彼から「これからは、お前が管理してくれ」と言って渡されたのが、この通帳だった。

 表には「生活二」と記されている。「生活一」の通帳は、年金入金と光熱費などの振り込み用である。

 そう、年金生活だった父と、私はお金を出し合って共同生活をしていたのだけれど、家計の管理権はずうーっと父が握っていた。

 おかげで、お金の攻防はなかなか大変。洗濯機などが壊れると、どっちが買うかでもめた。

 「お前が壊したのだから当然、お前が買う」「いや、洗濯しているのは私なんだから、お父さんが買うべき」などと、言い合った。

 あまりもめるので、ついに父は「わが家の憲法」というものまで、草案して共同生活のルールづくりをしたものだった。

 その父が、自分の預金通帳を渡し、全面降伏したように家計管理権を娘の私に委譲したころから、坂を転がり落ちるように当事者能力を失っていった。

 その時、どんな気持ちだったろう。なんかなあ、と思う。いずれ誰にも来る日かなあ、と涙がにじんでしまう。

 ともあれ、私も父に習って、これからはATMでお金を引き出すたびに通帳にいちいちメモをしておくことにした。

 「9月、生活費」とか「陶人形購入」とか「スーツ新調」とか。

 息子が、将来、私の通帳を見て、ふう、と吐息をつき、お母さんって人はなあ、なんかなあ、とちょっとは懐かしく思いだすかもしれない。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/09/05)