「家族ってなんだろう。このごろ、そう思うとくよくよしちゃって、眠れなくなるんです」
ある場所で言葉を交わした女性が、つぶやくように言った。
聞けば、元々は仲の良かった家族なのに、いや、そうであるために一生懸命、母として、妻として努力してきたのに、今や、彼女の家族はお互い、われ関せず。ほとんど口をききあわないのだそうな。
夕食時に、皆がそろうこともないのだそうな。
しかも、食べたり、食べなかったり。みな、勝手気まま。でも、作らないと、「なんで、なんにもないわけ?」と不機嫌になるらしい。
「時々、下の息子とは一緒に食べることもあるけれど、こちらの顔も見ないで食べ終えて、さっさと自分の部屋にいっちゃって、用件は携帯メールなんですよ…」
彼女は50歳代の主婦。娘は就職していて、息子は大学生。夫は会社員だが、いったいどこでなにしているのだろう?の人だそうな。
それを聞いて、毎日「一人で食事」の私としては、つい、ミもフタもないことを言って鼓舞してしまった。
「どこの家も、今は、そんなもんみたいですよ。で、私なら、もう、完全ストライキですね。ご飯、作りませんけど」が、彼女はこの意見にかえってムキになった。
「でも、私は、無事に成人した子供たちと、家族そろって夕食後にワインを飲んで語り合うとか、そういう日を目指してこれまで頑張ってきたんです」
そうかあ、と思う。
なかなかの夢だなあ、と。
で、一番、腹が立つのは夫であるらしい。こんなはずじゃなかった、と彼女が訴えたら、彼が言ったそうな。
「キミの好きな家族旅行とかさ、うんざりだったけれど、おれは、それなりに協力してきたじゃないか。もう、いいんじゃないか、それぞれで」と。
思わず笑ったら、彼女も笑った。「ねえ、ひどいでしょう?」
そう、ひどいかもしれないけれど、夫の気持ちも分かる。
むしろ、彼女の夢見る「夕食後のワインのひと時」は、いったん家族が思い思いにばらけて、それぞれの人生を自分の足で歩いている自覚と余裕が生まれたときにこそ、自然と生まれる家族の美しい風景なのかもしれない。
挫折ですよねえ、と彼女は言うけれど、いや、いや、まだまだ、そういう日が来ないともかぎらない。ただし、彼女の夢見るそんな夕食後は、きっと、1年に、いや、数年に1度、あるかないかにはちがいないけれど…。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/09/12)