産経新聞社

ゆうゆうLife

(85)「実は…」でなく堂々と

 誰にでも、私の好き、がある。

 なんだか笑われそうで、ほんとうは言いたくはないけれど、みたいな…。

 たとえば、実は私は宝塚が好きとか、実はヨン様が好き、とか、実はムーミンが好き、とか。

 私の場合の「実は…」は「アリス」である。そう、不思議の国のあのアリス。少女のころから、ずっとそう。関連本を集め、関連グッズを集め、近ごろは、私のやることなすことに「アリス」がつくようになってしまっている。

 「アリスのお茶会」とか「アリスの読書会」とか。

 変わった方ねえ、とも言われるけれど、結構、これで世間には同類がいる。「わー、アリス、私も好き!」と、集まってくる中高年女性が実は少なくない。

 それも、なぜか団塊世代。

 たぶん、この世代は、アリスという少女のなみなみならぬ自立性に思わず惹(ひ)かれてしまうタイプが多いのだと思う。

 「自立」は、かつての時代のキーワードだったから。

 ともあれ、アリスはいい。ウサギに誘われ穴の中に飛び込んでしまうあのためらいのなさ。摩訶(まか)不思議な世界をたった一人で、自問自答しながら突き進んでいくあの勇気。

 おまけに、この不思議の国ときたら、身体が大きくなったり、小さくなったり、思いもかけない運命に翻弄(ほんろう)されてばかりで、自分の涙におぼれそうになったりさえするのだから大変だ。

 そんな時、「あんたが、あんなに泣くからよ」と自分を自分で叱咤(しった)激励。

 そう、アリスが旅するのは、誰からも理解もされない、優しくもされない、コミュケーション不全の不条理な世界なのである。

 まるで、摩訶不思議な世間と戦いながら孤独に一人生きる私の人生みたいよ、と言った人がいるけれど、ほんとにそう。

 しかも、物語の最後、アリスはつぶやくのである。「ああ、面白かった」と。まったくもって、たいしたもんである。

 自分の人生に降ってきたとんでもない面倒にたじろぐことなく、「だからこそ面白いのよねえ」と言える境地を私も持ちたい。

 いくつになっても。

 いや、年を重ねるほどに、「永遠の少女、アリス」のように生きる覚悟が必要になっていく。

 「実は、好き」などと遠慮がちにではなく、もう堂々と、「アリス大好き」を宣言していいお年ごろになった、と言ったほうがいいのかもしれない。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/09/19)