久しぶりに会った友人に、「昔のあなたって…」と言われた。
聞けば、この私、実にミもフタもない人だったのだそうだ。
そうだったかなあ、と思うが、彼女が言うには、なにか問題が生じてもめたりすると、私は、必ず言ったのだそうだ。
「ねえ、それ、なかったことにしちゃわない?」
思わず笑ってしまった。
確かに、ミもフタもないヤツといえるかもしれない。
「でしょう? なかったことにできないからこそ、いろいろ問題になっているのに、あなたは一事が万事そんなふうに言って、こと済ませて、すいすい生きている人だったのよ」
なるほど、そういう人だったのかなあ、とも思う。
そういえば、昔、夫の愚痴を延々聞かされた人に「ねえ、そういう夫はいないことにしちゃえば」と言って、相手があっけにとられていたことがあったなあ、と思いだした。
でも、事実そういう人もいて、私の知人には、夫がいるのに勝手にアパートを借りて、一人暮らしを始め、「私ね、夫はいないことにしちゃったの」と言って、すましていた人もいるのだ。
そのうちに彼女は、「夫ぐらいいてもいいか」と思えるようになったとかで、自宅に戻ったけれど、問題の前にへばりついていると、ただ、悩みが2乗、3乗になるばかりで、にっちもさっちもいかなくなることが少なくない。
先日も、ある人から、友人が支配的な人で、「あなた、それってこういうことよ」とか、「こうしなくちゃダメでしょう」とか、いちいち言われるので苦しい、そういう人とはどう付き合ったらいいのでしょう、と相談された。
気が付いたら、思わず言っていた。
「付き合って苦しい人とは、付き合うのをやめたらいいんじゃないかしら。そういう友人はいなかったことにしちゃえばあ」
結局、昔と変わっていない私がいる。ただ、年を重ねて、なかったことにできない問題や、いなかったことにできない人によって、人生が形づけられていて、それが暮らすということだと身にしみて知ったということ。
だからこそ、である。
せめて、なかったことや、いなかったことにしてしまえるものぐらいは、そうしちゃった方が悩みの荷物が軽くなると思うのである。
私だって、昔に比べたら、そこそこは成長はしているのだと思いたい。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/10/10)