産経新聞社

ゆうゆうLife

(89)離婚しても最後は夫婦

 ちょっと怖い話を聞いてしまった。いや、これって考えようではいい話にもなるのかなあ、とも思うけれど。

 先日、50歳代で70歳代の実母を介護していたとある人が、言っていたのである。しみじみと。

 「あれこれあったんですが、結局、父が母を引き取ることになったんです。最後は、やっぱり夫婦なんですねえ…」と。

 最後は夫婦なんですねえ…、って、この夫婦、実はすでに離婚しているのだ。

 そう、今はやりの熟年離婚である。十数年前、これまでの人生に決着をつけたいと、とある人の母親は夫と別れて娘夫婦とマンションで暮らしていたのである。

 むろんね、娘としては、両親が仲良く暮らしてくれることを願っていて、反対はしたらしい。けれど、どうしても夫とはもう暮らせないと母親は主張する。いたしかたなく、母親との同居に踏み切ったのである。

 当時は、母親も元気だった。

 家事はやってくれるし、子供の面倒は見てくれるし、そもそもマンション購入の際の頭金も出してくれたし、ま、いいかと、娘の夫も黙認していたのだった。

 つまり、娘夫婦としては、それなりに離婚母と同居するメリットがあったということ。

 一方、離婚父の方は妻に去られて1人暮らし。気には掛かったが、なんとかやっているようなので放置。次第に、疎遠になっていった。

 ところがとんだ事が起きた。同居していた離婚母が、脳梗塞(こうそく)で倒れたのである。介護が必要になり、大変なことになってしまった。

 「そうしたら、父が別れた母を引き取って、自分が看(み)るって。お前たちには、これ以上、迷惑は掛けられないって」

 ふうむ、と思った。

 これを、彼の元妻への未練とみるべきか、男の責任とみるべきか。その心情の方は、今ひとつ分からないのだけれど。離婚母の側から言えば、あんなに娘の面倒を見てあげたのに「介護が必要になったら、別れたはずの夫のもとへ私、結局、送り返されちゃうのねえ」ということになる。

 よく、定年後の夫を疎んじて、子供の家族の世話ばかり焼いている人がいるけれど、将来の自分の老後の危機管理としては、どうなんだろう。

 夫のいない私が言うのもなんだけれど、ある年になったら、夫か子供か、選ぶべき相手を間違えないようにしなければならないゾ、と思った次第だ。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/10/17)