先日、「変愛小説」(恋愛ではなくて変愛です)という外国の短編集を読んでいたら、「木に恋する」女性の話が出てきて、思わず、ほほ笑んでしまった。
というのも、この私もまた、木に対しては、格別な思いを抱いてしまうタイプだ。
たとえば、わが家の小さな庭の木たちを偏愛している。薄紅色のハナミズキ。亡くなった母をいつも思いだしていたくて植えた夏椿。中には、鳥が運んだ種から育ったらしい名前の分からない「なんじゃもんじゃの木」などもある。
この木など、ある時、突然、現れて大きく育ち、勝手にわが家のシンボルツリーになってしまった。彼らを私は、ほとんどわが家族と思っていて、何かにつけて「あのね」などと話し掛けている。
木はなんの約束もしていないのに、葉を茂らせたり、花を咲かせたりして喜ばせてくれるのだから、これぞ無償の愛、である。
そして、数年前。近所を自転車で走らせていて、私は、特別な木と出合ってしまった。
青い空の中にぽっかりと浮かんでいるように見える不思議な木。特に葉を落としたとき、細かい枝々がまあるくふわあ〜っとかすんでいるようで実に愛らしいのだ。
しかも自由そう。
どこにも行けない木なのに。
まるで、「ワタシは、こんなにも自由よ」。そう言っているように見えるのだ。
ほとんど、恋する気持ちで、私はその木を見に行くようになった。
最初は、遠くから眺めてうっとりしていたのだけれど、一度、そばまで行ったら、廃屋のそばに立っているとてつもなく背の高い木だった。
地域では有名な木らしく、周りはさくで囲まれ、「ケヤキノキ」と古い木札がついていた。
ケヤキ? びっくりして見上げたが、真っすぐに伸びた幹の先が、やっぱりふんわりと丸くなっていて、ケヤキとは思えない枝ぶり。見上げれば見上げるほど個性的な姿をしているのだった。
ともあれ、私はその木に魅せられている。
落ち込んだりすると、必ず行って、空にぽっかり浮かんだその木をどきどきしながら眺める。
これって、ほとんど恋かもしれないと思ったりさえもする。
こんなふうに、年を重ねるとね、自分の人生にとってかけがえのないものって、人間ばかりじゃないと分かってくる。いろんな変なものに恋して、それでかくも深く満たされ得るのだなあ、と実に感慨深いのである。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/10/24)