産経新聞社

ゆうゆうLife

(94)持続は力なのだ

 先日の日曜日、東京・青山でパーティーがあった。

 昼間だったのに、ワインもビールもあって久しぶりに会った友人たちと乾杯をした。祝宴の途中、80年代の皆様、90年代の皆様、現役の皆様、それぞれからのごあいさつ、というのがあった。

 同窓会ではありませぬ。市民グループ「保育園を考える親たちの会」の25周年パーティーだ。

 実は、私は、数人で始めたこの会の創設メンバーで、80年代に子供を保育園に預けながら懸命に働いていた親なのであった。

 会の運営が、次世代へと手渡され、25年も続き、しかも発展している、そのことに感嘆してしまった。

 持続は力なのだ。

 そして、何よりも、この会に若い父親の姿があることにも感動した。

 その彼らがおしゃれ。幼い子供を片手でひょいと抱く姿なんかがさまになっていてかっこいい。ほとんどフランス風、という感じ。

 聞けば、最近は朝、子供を保育園に預けにくるのは父親の役割とか。父親は帰りが遅いので、朝が当番になるらしい。「ウチの保育園では、朝は8割がお父さんです」なんて聞くと、おお、そこまで時代は変貌(へんぼう)したか、とびっくりしてしまう。

 そう、25年前、父親が「女の人たちに交じって、子供のお昼寝の布団カバーを替えるときが一番いや、悲哀を感じますよ」なあんて言っていたのを知っている私には、感慨深いのだ。

 で、不意に気がついた。

 今、保育園児の父親って、ひょっとすると私たちが育てた息子世代じゃないの? 要するに、団塊ジュニアじゃないの?と。

 そう、25年かかって一まわり。80年代に保育園に通っていた子供たちが、ついに保育園に子供を預ける親になったのだ。

 団塊世代は、ニューファミリーなんて言われて、女たちが「男女の役割崩し」を主張したりした。でも、夫たちは一向に変わらず、子育てにも失敗しちゃった世代、とも言われている。でも、でも、ようやく今、私たちの子育ての成果が、ここに表れてきているんじゃないの、と思ったら急に元気が出てきてしまった。

 けれど、保育制度の方は25年かかってもほとんど進展がない。民営化でむしろ後退の一途をたどっているともいえる。

 もおーっ、政府の少子化対策は口ばかりで、本気が見えない!と、消えかかっていた胸の炎が、若かったあのころみたいにむらむらと燃え立ってくるのであった。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/11/21)