産経新聞社

ゆうゆうLife

(97)仕事はなくなるものだ?

 日本列島を不況の嵐が吹き荒れている。

 TVや新聞のニュースで、○○企業のリストラ計画1000人とか800人などと聞くと、年末を迎えるこの時期に、解雇されるのは嫌よねえ、と吐息が出る。

 私も、20歳代のころ、今で言う非正規雇用されていた会社を突然、解雇された経験がある。正規で勤めた会社が、わずか1年でつぶれて、給料未払いで失業した、なあんてことも。

 いや、まだある。

 30代で嘱託で働いていた広告会社、ここは1年ごとの契約更新で、なんの保障もなし。周りの正社員は、私ほどにも働かないのに、信じがたい高給。格差の現実を肌身で感じたものだった。

 以来、企業で働く道は捨ててしまった。以後は、雑誌ライターで生計を立てていたけれど、これがまた、仕事があったり、なかったり。突然の雑誌廃刊も年中のこと。子供を抱えて働いていたのに、1カ月先の収入が定まらない人生をよくも平気でやっていたものだと思う。

 でも、おかげで身についたものがある。仕事がなくなったら、どうするか、と言うより、仕事はなくなるものだという確信(?)があるということ。その時、どうするか、常に頭の中で危機管理をする習性が身についた。

 街頭人形劇付きクレープ屋さんとか、高齢者向け便利屋さんとか、自宅での朝ご飯レストランとか、格安自費出版業とか、もういろいろ。

 妄想は尽きない。

 そんな中で一番、現実的なのは、遠距離介護をしている人の代行介護業か。経験も生かせるし、独り身の気軽さで、どこにでも行くことは可能だし。

 20歳代のころ、働く母親のために「賄い付き家庭教師」というのを考え付き、それをやってたいそう喜ばれたこともある。

 子供に勉強も教え、ついでにおいしい夕食も作って、テレビも一緒に見てあげて、ともに母親の帰りを待つ仕事である。これなど、後の子育ての予行演習にもなり、自分のためにもなった。

 企業のためではなく、困っている人のための仕事というのは、不況にかかわらず、まだまだたくさんあるような気がする。

 こんな時代は、知恵を絞って、社会のすき間を埋めるみたいな仕事を自力で創出していくしかないように思う。

 またもや始まる大リストラ時代を、どうか頑張って乗り越えて、と祈る思いだ。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/12/12)