産経新聞社

ゆうゆうLife

(105)旬を過ぎて遊ぶのは大変

 このごろ、まわりの年齢が急に若返った。

 どこへ行っても、この私が、最年長だったりすることに気づいてちょっと寂しい。

 (ちなみに、私は60歳代、目下、花のシックスティーズである)

 思えば、母12年、父8年、なんだかんだで20年も介護生活をしていたせいで、これまでは人生の晩年期にあたる方たちとばかり付き合ってきた。

 そこでは、いつも私は、最年少。母が介護ホームに入居したときなどは、こちらは40歳代で、まわりから「あらあ、ウチの孫と同い年」と言われた。

 その後、50歳代になっても、事情は変わらず、だった。80歳代の父のクラス会に付き添いで行けば、「お嬢さん」と呼ばれたり。親戚(しんせき)で集まれば、末っ子の私は、常に年下だったり。

 そして、今、介護を終えて、いよいよ現役復帰の気分でいるのだけれど、夜遊びで飲みに行っても、ライブに出掛けても、まわりが若くて、えーっ、と驚いてしまう。

 「ねえ、ねえ、私の同世代は、どこへ行ったの?」と聞いたら、「みんな、夜はおウチにいるんです、もう街をふらふらしないんです」と言われてしまった。

 長くお出掛け不自由で、遊び足りていない私は、遊びの旬を逃したらしい。がっかりである。

 そして、どこででも「お若い」とか「元気」とか言われてうんざり。若い人には「お若い」とか「元気」とは言わないわけだから、「若くは見えるけれど、実はそうじゃないんですよねえ」と言われている感じ。

 そんなこんなで同世代が恋しくなって、「遊ぼう」と昔の友に声を掛けたら「目下、介護中、遊べない」と断られた。

 かつて、私がよく言っていたせりふだ。おかげで、昔の友とは、すっかり疎遠になっていたのだった。気を取り直して、別の友に電話をしたら「孫ができて、もう大変なのよ、忙しくて遊べない」と言われた。

 50、60歳代の女たちは、遊んでいる、とよく言われてきたけれど、実は、人生の途上で遊べる旬の期間は少ないから、遊べるときについ遊び狂って、目立ってしまうのだろう。

 私としても、気を取り直し、ようやく手に入れたつかの間のこの期間を天からのたまものと思って、このまま遊び狂ってしまおうかと、ふと思ったりもするけれど。

 旬を過ぎて遊ぶのは大変だ。お金もかかるし。疲れるし。人生、なかなかうまくはいかないものであるなあ、と思う。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2009/02/13)