産経新聞社

ゆうゆうLife

(106)傍らにいる「遠い夫」

 時々、ふっと不安になるのよ、とある人が言う。

 心配ごとでも? と聞いたら、ウーン、と言って首をかしげる。

 たとえば老後のお金のことかしら? とすぐにミもフタもなく思う私だ。けれど、聞けば、家もあるし、貯金もあるし、夫が亡くなって1人になっても、ちゃんと遺族年金があるわ、とのこと。

 だったら、子供のことかしら? と思ったけれど、息子も娘も家を出て自立、堅実に暮らしていて、目下、問題はない様子だ。

 おおー、だったら、問題は夫ね! と断言してみたら、案の定、そうかも、とのことだった。

 シアワセに暮らしている女は、とかく話がまどろっこしい。

 しかも、その夫が、どこといって欠点なし。ずっと仕事に打ち込んでいた彼は、家庭では横暴でもなく、偏屈でもなく、穏やか。積極的に家事はしないが、「やって」と頼めば、「いいよ」の人で、妻に対しては「キミは好きなことをやっていればいいさ」で、なんの文句もなし。

 定年後は当たり前のように2度目の会社で、黙々と働き続けるマイペース人間。ほとんど自己完結して生きている人らしい。

 だったら、それはそれでいいんじゃないの、妻は妻で自己完結して生きれば? 私なら、そうするけどなあ、と思うが、それが彼女にはできないらしい。

 彼女いわく。

 子供に問題が起きないように、自分のせいで家族がヘンなことにならないように、常に気を配って頑張ってきて、そろそろ家族もゴールという地点にいたってふっと気がついたら、傍らにいる夫が、傍らにいるにもかかわらず「遠い人」になっていたそうだ。

 シアワセに暮らしている女は、言うこともおしゃれだ。だったら、これからその「遠い人」とだんだんと「近い人」になっていったらどうでしょう、なんて言いつつ気がついた。

 私は彼女の夫自慢に付き合っているのだった。

 それにしても、周りから夫の愚痴を聞かされる度に、夫のいない自分を寿(ことほ)いでいたけれど、「遠い夫」というのは初体験で、私にはなんかいい感じに聞こえる。

 でも、夫の愚痴を言いまくる妻たちは、常にいきいきしているけれど、夫自慢の妻は、いつも、なぜか、どこか、さびしげだ。

 やっぱり、夫と言うのは、遠くてはいけない存在で、もーうっ、うっとおしいっ! と思うくらいがシアワセなのかもしれない。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2009/02/20)