産経新聞社

ゆうゆうLife

(107)100年に1度の苦境なんて、ウソ

 10歳ほど年上の知人からはがきが届いた。

 そこに、「100年に1度の苦境なんて、ウソ」と書いてあった。

 さらに「60年前の日本についての記憶が生々しい世代としては、虚偽に満ちた金融バブルの気色の悪さに比べれば、社会はよほどまともになった…」うんぬんと。

 そうよねえ、と思った。

 「100年に1度」なんてねえ、と思った。

 60年までさかのぼらなくても、日本が戦後復興を果たしたあの高度経済成長邁進(まいしん)中の40年前のことを思いだしたって、今の時代のゼイタクさが信じられない。

 思い起こせば、40年前、普通の庶民が、レストランで食事をするようなことなど、1年に1度もなかった。ほとんどがウサギ小屋と世界に揶揄(やゆ)されるほど狭い家に住んでいた。

 若者もすごく貧しかった。

 アパートは共同トイレ、共同炊事場、むろん、お風呂なしが一般的だった。私の友人たちは、そういうアパートの1部屋を、数人でシェアをして暮らし、青春を謳歌(おうか)していた。

 給料もねえ、今から考えれば、信じがたいほど安かった。

 それが、たかが40年前だ。

 団塊世代は、敗戦後の日本の貧しさを生身で知っている最後の世代といわれているけれど、いやいや、そこまでさかのぼらずとも、20年か30年かくらい前までに、みんなが生活レベルを落とせば、この不況もなんのその。

 そもそもなあ、と思う。

 株価が暴落して大変!と言っても、株、持ってないし。消費が冷え込んでいる、といわれても、今や家にあふれているものを捨てる方がお金のかかる時代だし。食品も自分で手作りしないと危険な時代だし。

 別にねえ。

 ここはあれです。団塊世代の年金のあるゆとり派は、もう、定年後の第二の職場なんて考えずに、すみやかにリタイアして若い世代に席を譲るべきでしょう。

 で、持てるエネルギーと能力をボランティア活動で世のため人のために使えば、金融バブルで気色悪かった社会はずっと清浄なものになるでしょう。

 気のせいか、もともと個人的に不況、苦境にあった人たちが、時代全体が苦境、不況になったら、なんだか元気になってきたみたい。

 結局、人をなえさせ、すさませるのは、「苦境」よりも「格差」なんだということを、私たちは、今度の大不況で実感させられた気がする。(ノンフィクション作家 久田恵)

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 3月から月曜日に掲載します。

(2009/02/27)