先日、あなたは「終(つい)の棲家(すみか)」をどうするつもり?という取材を受けた。
ケアハウスとか、シルバー向けマンションとか、介護付き有料老人ホームとか、いろいろあるけれど、どういう選択をする予定か?ということだ。
聞けば、50歳代前後を対象にした中高年向けの主婦向け雑誌では、最近、このテーマに読者の関心がすこぶる高いのだそうだ。
ほほう、と思う。
まだ親を介護している世代なのに、もう、自分自身の介護のことを気にしているなんて、大変だなあ、と。
いや、親の介護で、老いの現実の厳しさに直面すると、自分のことがことのほか心配になってくるのだそうだ。
そう言われれば、確かに。
父や母の介護をしながら、私も、時々思った。父や母には、私のような娘がいるけれど、私には、「私のような娘」がいないのだなあ、と。
そう、わが世代は、親からは当然のように介護を期待されてきたけれど、自分の子供には期待できないと思っている。
なんかわりくっている感じのようには見える。けれど、「子供には、期待できない私たちなのよねえ」と、みんなして思い切れていると、ラクかもしれない。
へんに子供に期待していて、それがかなわなかったら、なぜ自分ばかりが…、と不幸感を募らせたりして、つらいことになってしまう危険がある。
そもそも、本当は子供に介護されるより、腕のあるヘルパーさんに介護してもらう方が、ずっと快適だし、認知症になったりしたら、自宅より施設の方がずっと安心だと、私は思う。
自宅で子供に介護をされて、人生の最後を迎えるのが一番のシアワセだなんて、すでに破産した家族幻想にすぎない。
と理屈をこねているけれど、で、あなたはどうするつもりか、って?
それは分からない。
でも、もし経済事情が許せば、そして80歳くらいまで元気でいたら、ご近所の老人ホームに親しい友達を誘って(ここが肝心)入居するつもりだ。
だから、今は子供より、友だちが大事。60歳をすぎたら、老人ホームに一緒に入って、思い出話に花を咲かせられる女友だちをどれだけ作れるかが、勝負よねえ、と思っている。
そう言ったら、取材に来た若い人が、ま、楽しそう!と言った。
どうだろう。楽しいだろうか。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2009/03/23)