「わあ〜おっ、今日は夫が出張で、ご飯がいらない!」と、先日、三十代の妻がはしゃいだ声を上げていた。
子供は、まだいない。私から見れば、お互いが好き勝手にやっている様子。なのに?と首をかしげた。
それで、聞いてみた。
「今時の若い夫婦でも、妻が、毎日、夕食を作るの?」と。
ところが、そうでもない。
待ち合わせて一緒に外食をしたりもするし、先に帰った夫が出来合いの総菜を買ってきたりもする。休日のお昼は、たいてい夫がパスタを作る。
それでも、彼女は、夫のご飯が常に気になり、結婚以来、ずっとご飯問題に拘束され続けている、と主張する。
今日は外食で、明日は私が作って、あさってはどうしようとか、ご飯のことを毎日、確認し合い、連絡し合わねばならないのが大変なのだとか。
そして、彼女はようやく気づいたのだそうだ。「そうか、結婚って、ご飯のことだったのね」と。
いやいや、その程度で音を上げていたら、今後、どうするのだろう、と思う。
子供が生まれたらもっと大変。親の介護が重なったら、またまた大変。働いていてもいなくても、主婦の日常は「今日のご飯」に拘束される。
冷蔵庫に何が残っているか。どこで買い物をするか。不足の調味料はないか。帰りの遅くなる日は何を作り置きするか。
「カレーとシチューばかりじゃなあ…」みたいなことを考えながら、私も、毎日、仕事をせざるを得なかった。
おかげで、いくつかの異なる課題を同時にこなしたり、進行させたりする能力が身についた。
これって、長い人生の間に、ひとつのことにしか集中できない男に、女がどんどん実力差をつけていくことよねえ、妻依存の男は晩年が大変よ、と思っていたら、ある男性のブログにこんなことが書かれていた。
「夕方、時計を見たら、妻が、今、ご飯作ろうとしているところじゃないのっ!とキレた。定年後の夫は、夕方に時計を見てはいけない」と。
定年後は、夫の妻への「ご飯、まあだ?」は、許されなくなるらしい。
やっぱりね、ご飯問題は、若い世代から、中高年世代にいたるまで、夫婦関係を物語る象徴的な課題なのだ。「ご飯」をあなどってはいけない。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2009/04/06)