産経新聞社

ゆうゆうLife

(113)「ご飯、まあだ?」禁止

イラスト・題字 太田拓美


 「わあ〜おっ、今日は夫が出張で、ご飯がいらない!」と、先日、三十代の妻がはしゃいだ声を上げていた。

 子供は、まだいない。私から見れば、お互いが好き勝手にやっている様子。なのに?と首をかしげた。

 それで、聞いてみた。

「今時の若い夫婦でも、妻が、毎日、夕食を作るの?」と。

 ところが、そうでもない。

 待ち合わせて一緒に外食をしたりもするし、先に帰った夫が出来合いの総菜を買ってきたりもする。休日のお昼は、たいてい夫がパスタを作る。

 それでも、彼女は、夫のご飯が常に気になり、結婚以来、ずっとご飯問題に拘束され続けている、と主張する。

 今日は外食で、明日は私が作って、あさってはどうしようとか、ご飯のことを毎日、確認し合い、連絡し合わねばならないのが大変なのだとか。

 そして、彼女はようやく気づいたのだそうだ。「そうか、結婚って、ご飯のことだったのね」と。

 いやいや、その程度で音を上げていたら、今後、どうするのだろう、と思う。

 子供が生まれたらもっと大変。親の介護が重なったら、またまた大変。働いていてもいなくても、主婦の日常は「今日のご飯」に拘束される。

 冷蔵庫に何が残っているか。どこで買い物をするか。不足の調味料はないか。帰りの遅くなる日は何を作り置きするか。

 「カレーとシチューばかりじゃなあ…」みたいなことを考えながら、私も、毎日、仕事をせざるを得なかった。

 おかげで、いくつかの異なる課題を同時にこなしたり、進行させたりする能力が身についた。

 これって、長い人生の間に、ひとつのことにしか集中できない男に、女がどんどん実力差をつけていくことよねえ、妻依存の男は晩年が大変よ、と思っていたら、ある男性のブログにこんなことが書かれていた。

 「夕方、時計を見たら、妻が、今、ご飯作ろうとしているところじゃないのっ!とキレた。定年後の夫は、夕方に時計を見てはいけない」と。

 定年後は、夫の妻への「ご飯、まあだ?」は、許されなくなるらしい。

 やっぱりね、ご飯問題は、若い世代から、中高年世代にいたるまで、夫婦関係を物語る象徴的な課題なのだ。「ご飯」をあなどってはいけない。

 (ノンフィクション作家 久田恵)

(2009/04/06)