父の故郷へ墓参りに出掛けた帰り道のこと。電車の乗り継ぎがうまくいかず、普通電車に乗ってコトコトと移動した。隣に高齢の女性が座っていた。
「どちらまで?」と声を掛けられ、話が始まった。私は、誰かと目が合うと、ついにこっとするタイプで、実に、しばしば知らない人から話しかけられるのだ。
年齢は85歳。息子と2人暮らしとか。私も、老父と2人で暮らしていたので、「あらあ」と言って、親近感を覚えた。
そして、延々1時間。彼女から息子が結婚しないことへの不満、不安を訴え続けられることになったのだった。
息子に女性から電話があると、もしかして?と舞い上がり、電話が途絶えるとがっくりくる、それを何十年も繰り返してきたらしい。
今や、結婚のことを口にすると、彼が「うるさい」とか「しつこい」とか「放っておいてくれ」とキレるのだそうだ。
ああ、このままでは、死んでも死に切れない、と母である彼女は嘆くのだ。それで、思わず息子の年齢を聞いたら、すでに六十代。
つい、声を上げてしまった。
「もう、いいじゃないですか」と。だってねえ、高齢になって息子と2人で仲良く暮らせれば、なによりだし、どんな人がお嫁さんになるか分からないし…。
「いいのよ、私のことはどうなっても。息子が結婚してシアワセになってくれさえしたら」
ほんとうかしら? と思うけれど、母の思いは真剣である。
それにしても、八十代で六十代の息子の結婚問題に悩み続けているなんて、母はいくつになっても母。恐るべし、である。
そして、「結婚したらシアワセになる」という、この強い思い込みにも圧倒される。
「でもねえ、息子さんは、結婚しなくてもシアワセなんだと思いますよ」と、言ったら、「とんでもありませんっ!結婚しなきゃ、シアワセにはなりませんっ」と、叱責(しっせき)されてしまった。
ああ、シアワセってなんだろう。
思わず、遠くを見る目になってしまったけれど、結婚、結婚、と何十年も言われつづけてきた彼女の息子の心労はいかばかりであったろう。
彼が、結婚できなかったのは、この母の結婚に対する過剰な期待を裏切れなかったからかもしれない。結婚しないシアワセもあるのにねえ。
(ノンフィクション作家 久田恵)
(2009/04/20)