パーティーに出掛けた。
私は、これで結構、シャイなタイプで、なにを隠そう大勢の人が集まる場所に出ていくことには臆(おく)してしまう。
けれど、せっかく1人暮らしで「お出掛け自由な人」になったのだしなあ、これもまた、1人で生きる練習かしらねえ、と思って出掛けてみた。
会場に入ったとたんだった。
もういきなり、鮮やかな赤が目に飛び込んできてびっくりした。思わず、吸い寄せられるようにしてその美しい赤に近づいたら、スーツ姿の女性、評論家の吉武輝子さんだった!
彼女は、目下、酸素ボンベでの吸入が欠かせないと聞いていたけれど、お供に連れているそのボンベにもまた、鮮やかな赤の衣装が着せられているではないか。
全体が完璧(かんぺき)にコーディネートされた情熱のファッション。思わず、手をたたきたくなった。実は、この日のパーティーは、彼女の講演付きだったのだ。けれど、「病気にはなるけれど、病人にはならない」という目下の彼女の生きるテーマは、そのファッションがすでにあますところなく伝えていた。
若い時のあまりに派手な服は、若さを殺してしまう。でも、後期高齢者ぐらいになったら、こてっとした華やかな色合いの服が、その人の中に残されている若さを引き出してくれるのよ、と彼女は話した。
確かに、そうだと思う。
でも、その若さとは、たぶん、身体的な年齢だけではなく、心の華やぎというか、その人の持っている内的エネルギーというか、そういうものがとっても重要にちがいない。
つまり、あでやかな服には、そのあでやかさに負けない精神の若さが必要だということ。
彼女に比べたら、私が持っているのは、まるで吹けば飛ぶようなエネルギー量である。後10年、さらに10年、どこまで一生懸命生きたら、あのあでやかな服に負けない自分を作れるのだろうか、と思った。
人生、もう下り坂よねえ、なんて同世代で言い合っているけれど、実は、人は倒れ伏すまで上り坂を行かねばならないのかもしれない。
どんなに息切れがしても。
その日、私はなれないパーティーに出掛けてまたひとつ学んだのである。そう、誰かが、あでやかに、パワフルな姿でそこにいる、ということだけで、人をどれほど励ますものか、ということを。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2009/05/11)