産経新聞社

ゆうゆうLife

(121)定年後の夫をやりこめる

 60歳前後の団塊世代の妻たちはその夫たちにとって、なかなかの難物らしい。

 ある夫、いわく。

 「なんですかね。妻がこのごろ、妙に理屈っぽいというか。なにかにつけ、あなたのその考えは論理的に矛盾しているとか言って、責めてきますねえ」

 聞けば、娘も息子も結婚して、夫婦2人だけになったら、妻がどうかしちゃったみたい、とか。

 どういうふうにどうかしちゃったかと言うと、「夫との関係性を見直す」と言って、頻繁に議論をふっかけてくるらしいのだ。

 「あなたのような人が、女の立場からとか言って、好き勝手を書くからじゃないですか?」と、なんら関係のない私が、とばっちりを受けてしまったりしたけれど。要するに、団塊の妻たちが、再び自己主張を開始したということらしい。

 そう、30年くらい前、男性たちのいない昼間の地域では、しきりと「女の自立」とか「男女の性別役割崩し」とかが、社会教育活動の重要なテーマとして議論され続けていたのだ。

 シングルマザーの私など、年中、公民館の講座に呼ばれて、「女の自立」体験を語らされたから印象が深い。

 団塊の妻たちは、20代にウーマンリブ、30代にフェミニズムという時代の洗礼を受け、「夫との対等意識」を強く持つ戦後初の独特な世代なのだ。

 それを意識している、していないにかかわらず、である。

 ところが、実際に家庭生活をしてみると、現実は理屈を超えていた。夫は会社にエネルギーを吸いとられ、子育ては思ったよりずっと大変。思春期だ、受験だ、不登校だ、ひきこもりだ、就職難だ…、で、理屈っぽくしている暇はなかった。

 それが、やっと一段落して、私のし残したことって何? と振り返ったら、「夫との関係の見直し」だったのよ、ということを思いだしたらしい。

 それにね、と同級生の知人が言う。

 「夫が定年になったら、あっちの経済的優位性が崩れて、すごく議論しやすくなったのよね。毎回、議論のネタを探しては、彼をやりこめるのが、楽しくってえ」

 なるほどと思う。

 団塊妻とともに暮らす定年後の夫は、家庭に安らぎなんか求めても無駄かも。それよりも理論武装が肝心かもしれない。妻が、理論闘争をしようと手ぐすねを引いて、家で待っているかもしれないのだ。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2009/06/11)